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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

善知鳥杯争奪戦&第二の規程と第三の規程

2020-09-30 19:56:21 | 競輪
 昨日の青森記念の決勝。並びは新山‐守沢の北日本,高橋‐新田‐佐藤の福島,松浦‐園田の西国。
 佐藤がスタートを取りましたが,上昇してきた松浦に譲って前受けは松浦。3番手に高橋,6番手に新山で周回。残り2周のホームの入口から新山が上昇。高橋を牽制しつつバックに入ってから松浦を叩きました。ここから高橋が発進。打鐘で新山を叩きました。4番手に新山で6番手に松浦の一列棒状に。新山が先に発進しましたがバックでは新田がこれに合わせるように番手捲りを敢行。そのままだれにも前に出られることなく優勝。マークの佐藤が4分の3車身差の2着で福島のワンツー。1車身半差の3着は不発に終わった新山から佐藤にスイッチした守沢と,守沢の後ろから追い込んできた松浦で接戦。写真判定の結果,3着は松浦でタイヤ差の4着に守沢。
 優勝した福島の新田祐大選手は昨年8月のオールスター競輪以来の優勝。記念競輪は2017年5月の函館記念以来の7勝目。青森記念は2014年以来の2勝目。新田は競技が中心となっているため,記念競輪には滅多に出場しません。ここは2017年の青森記念以来となる久々の記念競輪出走。ですから出走するだけで優勝候補で,さらにここは高橋の番手。しかも新山が福島ラインを分断に出ることはほぼないので,かなり恵まれたメンバー構成となりました。展開も,松浦に前受けさせて新山を後方に置きましたので,先に動いた新山を叩きにいくという絶好のものに。ここまでお膳立てが揃えばさすがに当然の優勝といっていいと思います。

 河合があげている例,すなわちスピノザが第二部自然学②第二部補助定理七備考で示しているのは,延長の属性Extensionis attributumの個物res singularisである物体corpusの複合の無限連鎖という不条理な認識cognitioの先に,延長の属性の間接無限様態である物体的な全自然の認識があるというものです。ですが河合は,こうしたことが,無限infinitumの第三の規程と第二の規程の間には一般的に成立するとみています、つまり,それがどのような属性であったとしても,第三の規程の仕方で無限を認識すれば,そこには不条理が生じ,部分に分割され有限finitumであるとみられる限りでのその属性の間接無限様態の認識が発生してくるとみているのです。したがって,間接無限様態は,第三の規程と第二の規程の無限を結び付けるような様態modiであると河合は指摘しています。
                                        
 そしてもしも第二の規程と第三の規程がこのようなものであったなら,スピノザが思惟の属性Cogitationis attributumの間接無限様態が何であるのかを示さなかったのは自明であるという意味のことを河合はいいます。なぜならそれは不条理の先にあるようなものの認識,いい換えれば原因causaから抽象されたものの認識なのですから,観念ideaでいえば混乱した観念idea inadaequataに該当します。このことは第一部公理四から明らかでしょう。そこでもしもそれがXの混乱した観念であったとしたら,それをXということは適切性を欠きます。それは混乱した観念を十全な観念idea adaequataであるといっているのと同じことになるからです。要するに河合が何をいっているかといえば,思惟の属性の間接無限様態というのは,人間によっては十全に認識するcognoscereことができないようなものであって,そのゆえにスピノザはそれを示すことをしなかった,もっといえば示すことができなかったということになると思います。僕はこの論理構成は説得力を有するものだと思います。
 無限の第二の規程と第三の規程は,あらゆる属性において一般的であるというのが河合の考え方です。それでみれば,延長の属性の間接無限様態については示すことができるのに,思惟の属性の間接無限様態を示すことができないのは疑問と思われるかもしれません。別のいい方をすれば,僕が河合の論理に説得力を感じるのは不思議だと思われるかもしれません。
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