⑰-2の第2図の局面で僕に分かったのは次のことです。
後手の狙いは次に☖5八飛成の王手金取りを掛けることです。このうち,金取りは金を動かすか銀を打つことによって受けることができますが,王手は受けられません。☗6五玉は☖6四歩と打たれ,☗6六玉では歩を打たせた分だけ損ですし,かといって☗同馬☖同銀は☗同玉に☖5四飛成で詰んでしまうからです。しかし金取りだけを受けても☖5八飛成は王手で入るのですから,これも一手としての価値に欠けます。つまりこの局面では先手は受ける手はありません。受ける手がないなら攻めることになります。
ただし具体的にそう攻めればよいのかということは僕には判然としません。実戦は☗7四桂と打ちました。
これはすぐにいい攻め方だと分かりました。というのはこれには☖同銀の一手ですが,そこで☗同歩と取っておけば,単に攻めて駒を得しただけでなく,6三の銀を外すことができたので,先手玉の安全度が高くなるからです。
実戦の流れだけでいうとこの手は先手の7五の歩が7四に進むという点がデメリットになりました。しかしそれはあくまでもこの後の展開の上でのことです。
後手は手番を得ましたが,指す手はひとつしかありません。もちろん☖5八飛成です。
王手ですが受けるのですが,どう受けるのかは予測できました。
書簡七十はシュラーGeorg Hermann Schullerがスピノザに出したものです。書簡七十二はシュラーがスピノザから受け取ったものです。ですからこの2通の存在についてシュラーが知らなかったことはあり得ません。それどころかその内容まで知っていたといわなければなりません。そしてその内容のうちに,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizとスピノザとの間で,『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を主題とした書簡のやり取りがあったことを確定させる記述が含まれていました。よってライプニッツの指令をシュラーが忠実に守るためには,この2通は抜き取っておかなければならないということを,実際に抜き取りを実行する前の段階で,シュラーは分かっていたことになります。
この2通の書簡の記述を分析することによって今回の考察の中で明らかにすることができたのは,スピノザとライプニッツの間で書簡のやり取りがあったことは,ふたりの間での極秘事項であったということでした。したがってスピノザの親友であったシュラーも,その事実を知らなかったのです。シュラーがそれを知ったのは書簡七十の基となった書簡をチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausから受け取ったときです。とはいえそれはライプニッツの発言によるものでしたから,その時点ではシュラーはまだそのことを確信するまでには至っていなかったかもしれません。書簡七十二を読んでようやく,シュラーはそれが事実であることを確信したというのが真相に近いかもしれません。
ところで,スピノザとライプニッツとの間での文通が極秘事項であったというのは,それが『神学・政治論』を主題とした書簡に限ったことではありません。すべての文通について該当します。ですからシュラーは,『神学・政治論』を主題としていない書簡四十五と書簡四十六が存在するということについては,もしそのことをライプニッツから知らされていなかったとすれば,書簡を抜き取る段階でも知らなかったことになります。むしろシュラーがこれらの書簡の存在のことをライプニッツから聞き及んでいなかったとすれば,ここまでの状況から勘案する限り,スピノザとライプニッツの間での文通は,『神学・政治論』を主題としたものがすべてであると思い込むのではないでしょうか。
後手の狙いは次に☖5八飛成の王手金取りを掛けることです。このうち,金取りは金を動かすか銀を打つことによって受けることができますが,王手は受けられません。☗6五玉は☖6四歩と打たれ,☗6六玉では歩を打たせた分だけ損ですし,かといって☗同馬☖同銀は☗同玉に☖5四飛成で詰んでしまうからです。しかし金取りだけを受けても☖5八飛成は王手で入るのですから,これも一手としての価値に欠けます。つまりこの局面では先手は受ける手はありません。受ける手がないなら攻めることになります。
ただし具体的にそう攻めればよいのかということは僕には判然としません。実戦は☗7四桂と打ちました。
これはすぐにいい攻め方だと分かりました。というのはこれには☖同銀の一手ですが,そこで☗同歩と取っておけば,単に攻めて駒を得しただけでなく,6三の銀を外すことができたので,先手玉の安全度が高くなるからです。
実戦の流れだけでいうとこの手は先手の7五の歩が7四に進むという点がデメリットになりました。しかしそれはあくまでもこの後の展開の上でのことです。
後手は手番を得ましたが,指す手はひとつしかありません。もちろん☖5八飛成です。
王手ですが受けるのですが,どう受けるのかは予測できました。
書簡七十はシュラーGeorg Hermann Schullerがスピノザに出したものです。書簡七十二はシュラーがスピノザから受け取ったものです。ですからこの2通の存在についてシュラーが知らなかったことはあり得ません。それどころかその内容まで知っていたといわなければなりません。そしてその内容のうちに,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizとスピノザとの間で,『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』を主題とした書簡のやり取りがあったことを確定させる記述が含まれていました。よってライプニッツの指令をシュラーが忠実に守るためには,この2通は抜き取っておかなければならないということを,実際に抜き取りを実行する前の段階で,シュラーは分かっていたことになります。
この2通の書簡の記述を分析することによって今回の考察の中で明らかにすることができたのは,スピノザとライプニッツの間で書簡のやり取りがあったことは,ふたりの間での極秘事項であったということでした。したがってスピノザの親友であったシュラーも,その事実を知らなかったのです。シュラーがそれを知ったのは書簡七十の基となった書簡をチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausから受け取ったときです。とはいえそれはライプニッツの発言によるものでしたから,その時点ではシュラーはまだそのことを確信するまでには至っていなかったかもしれません。書簡七十二を読んでようやく,シュラーはそれが事実であることを確信したというのが真相に近いかもしれません。
ところで,スピノザとライプニッツとの間での文通が極秘事項であったというのは,それが『神学・政治論』を主題とした書簡に限ったことではありません。すべての文通について該当します。ですからシュラーは,『神学・政治論』を主題としていない書簡四十五と書簡四十六が存在するということについては,もしそのことをライプニッツから知らされていなかったとすれば,書簡を抜き取る段階でも知らなかったことになります。むしろシュラーがこれらの書簡の存在のことをライプニッツから聞き及んでいなかったとすれば,ここまでの状況から勘案する限り,スピノザとライプニッツの間での文通は,『神学・政治論』を主題としたものがすべてであると思い込むのではないでしょうか。