スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

スポニチ盃アフター5スター賞&明瞭判然

2016-09-01 19:12:48 | 地方競馬
 昨晩の第23回アフター5スター賞
 イセノラヴィソンが行きかけましたが外から追い抜いたルックスザットキルがハナへ。外からマリカが2番手に追い上げ,さらに大外のプラチナグロースも3番手に。4番手はアドマイヤサガスでしたが3コーナーを回ると前の3頭と4番手は差が開いていきました。前半の600mは35秒0のハイペース。
 直線に入るとルックスザットキルがマリカを振り切り,そのまま逃げ切って優勝。3番手のプラチナグロースはコーナーでは手綱を押してついていく感じでしたが,しぶとく脚を伸ばし,マリカは捕えて1馬身4分の1差の2着。3コーナーからの貯金で後続の追い上げは凌いだマリカが半馬身差で3着。
 優勝したルックスザットキルは5月のゆりかもめオープン以来の勝利。南関東重賞は昨年7月の習志野きらっとスプリント以来で3勝目。この馬は重賞でもそこそこは戦える能力がありますので,南関東重賞では常に能力上位。ただスムーズなレースができないと力が発揮できない面があり,多くの取りこぼしもあります。ここは発馬を決めて逃げることができましたので,能力発揮となりました。時計的には物足りない感もあり,このレースに関してはあまり高く評価することはできないのかもしれません。
 騎乗した大井の早田功駿騎手は習志野きらっとスプリント以来の南関東重賞3勝目。アフター5スター賞は初勝利。前管理調教師の勇退により今年の4月から管理している大井の米田英世調教師は。開業から約7年8ヶ月で南関東重賞初勝利。

 十全な観念idea adaequataと訳されるべきところが適切な観念と訳されているのは訳者の問題であって,著者であるジャレットの問題ではありません。ですがジャレットがこれについて語っている部分の中に,誤解を与えかねない部分も存在しています。
                                     
 第六章で第二部定理四七の直後の備考Scholiumについて説明している部分に,スピノザは明晰かつ判明を適切の同義語として用いるという主旨の記述があります。これは文脈上の文意としては誤っていません。ですがこの記述だと,一般的にそのふたつが同じ意味であると解される可能性があると思います。
 適切が十全adaequatumであるべきであるように,明晰判明というのはたぶん明瞭判然と訳した方が親切だと僕は思いますので,ここからはこちらの語句で説明します。これは以前にも僕の見解として述べたことがありましたが,スピノザが観念について十全と形容する場合と,明瞭判然と形容する場合は,一般的には同じではありません。明瞭判然な観念というのは,十全な観念より広範にわたります。要するに十全な観念は必ず明瞭判然な観念ではありますが,明瞭判然な観念のすべてが十全な観念というわけではありません。むしろそれが混乱した観念idea inadaequataである場合にも,スピノザはそれを明瞭判然と形容するケースがあります。
 ある十全な観念とほかの十全な観念は,観念されているものideatumが何であるのかを捨象すれば,十全性における差異はありません。ところがある混乱した観念とほかの混乱した観念の場合では,混乱している,これはつまり十全ではないという意味ですが,その点においては何の相違もないものの,混乱しているということを観点として混乱性というのを抽出すれば,同一の混乱性であるとは断定できません。いい換えれば混乱性には混乱の度合というものがあるのであって,きわめて混乱した観念もあれば,そこまでは混乱していない観念というのもあるのです。このとき,後者の観念が前者の観念と比較された上で,前者よりも明瞭判然とした観念であると形容される場合があります。ですから,スピノザが十全という場合と,明瞭判然という場合では,意味が違うと理解するのが正確だと僕は考えます。
コメント
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