スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヒューリック杯棋聖戦&不完全性定理の意義

2019-06-29 19:19:19 | 将棋
 沼津倶楽部で指された第90期棋聖戦五番勝負第三局。
 渡辺明二冠の先手で矢倉。後手の豊島将之棋聖は雁木。後手が端から攻めていったタイミングが悪く,苦戦を招いてしまいました。
                                        
 後手が5筋の歩を伸ばした局面。ここではすでに駒損でも先手が指しやすい筈ですが,ここからシンプルな手順の連続で決めました。
 まず☗2二歩☖同金と形を乱します。それから☗5四桂☖同銀で駒損を回復。露骨に☗6三銀と打ち込み☖同銀☗同歩成☖同金寄に再び☗6四歩☖5三金寄☗6三銀と露骨に打ち込みます。
 ここで清算すると☗5五銀で先手の飛車まで攻めに参加してきてしまうので☖6一金と引くのは止むを得ないところ。さらに☗5四歩☖4三金と拠点を作っておいて☗7四銀成としました。
 一見すると緩い手ですが,と金を作る先手になっています。そこで☖6二歩と受けたのですが☗6三歩成☖同歩に☗7三角成。これが☗6三馬の先手なので☖6二銀と受けますが☗5五馬と引いて先手は盤石の態勢です。
                                        
 受けるのも難しい後手は反撃に出ましたが,あっさりと攻めが切れてしまいました。この将棋は先手の快勝譜といっていいでしょう。
 渡辺二冠が勝って2勝1敗。第四局は来月9日です。

 第二部公理四は,僕たちは身体corpusが多様な仕方で刺激されるafficiことを感じるといっています。これが公理Axiomaとして成立するのは,僕にはどう考えても経験に訴えているとしか思えません。岩波文庫版の旧版なら117ページ,新版では140ページの第二部自然学②要請三は,自然学Physical Digressionの中で証明され得るということはでき,これが証明され得るなら第二部公理四も証明され得ると僕は考えますが,この公理は自然学より前の部分にあたる第二部定理一三で,僕たちの精神を構成するMentem constitutens観念の対象ideatumが身体であることを証明するのに必要とされていて,公理として成立していなければならないのです。ですがこれが公理として成立し得る要素が経験にしかないのであれば,僕たちが経験し得ることは何であれ公理的性格を有し得るということになるでしょう。しかるに,僕たちがあることを知っているならそれを知っているということを知り得るということは,やはり僕たちの経験に訴えることはできる筈です。第二部定理四三の重要な点は,僕たちがあるものについて真の観念idea veraを有するなら,それが真の観念であることを疑い得ないという点にあるのですが,その理由は,僕たちの精神のうちにたとえばXの真の観念があるなら,Xの真の観念の観念も僕たちの精神のうちにあるということに依拠するので,結局のところこれもまた公理的性格を帯びているのではないかと僕には思えるのです。
 さらに,これが公理的性格を帯びるのであるとすれば,それはすべての公理系において公理的性格を帯びるといわなければなりません。たとえば僕はゲーデルの不完全性定理が真verumであるということを知っていますが,僕は同時に,それが真であるということを知っているということを知っていることになるからです。
 これでみれば分かるように,どのような公理系にあっても,その公理系の内部にある単一の事項だけを抽出するなら,それが真であるということを否定することができないものがあるということは,僕自身は認めざるを得ないのではないかと思います。不完全性定理の意義はそういう点にあるのではなく,公理系全体の正当性は公理系によって証明できないという点にあると僕は解します。
コメント
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