全日本女子プロレスの経営陣の無能さについて触れたとき,コーチ役を務めていたジャガー・横田の発言をその根拠のひとつとしました。横田がコーチになったのは引退後であり,それ以前はプロレスラーでした。僕の女子プロレスキャリアの初期,会場での観戦はしなかったもののテレビでは視聴していた頃のトップ選手が横田です。全日本女子プロレスのトップというのはWWWA選手権王者のことです。プロレスか女子プロレスかという観点では女子プロレス派の選手でした。

僕が見始めた頃にはトップだったわけですから,それ以前のことは詳しく知りません。デビューは1977年6月。当時はビューティペアのブームで新人が多く,しかし経営陣は自分たちの手でスターを育てる能力には欠けていたので,実力で勝った選手を上で使うという方針を決定しました。つまり全日本女子プロレスでセメントが行われるようになったのは横田がデビューした頃からだったことになります。
同期の新人たちによる新人王戦は1回戦で判定負けしたものの,1980年1月に全日本ジュニアで初タイトルを獲得。そして翌年の2月にジャッキー・佐藤を破ってWWWAの王者になりました。これらの試合もすべてセメントで,横田はそれが当然の時代だったと発言しています。つまりトップであるWWWAの選手権もセメントいい換えれば押さえ込みルールで行われていたわけで,横田は文字通りにその実力でトップを勝ち取った選手であることになります。
1985年8月にライオネス・飛鳥を相手にWWWA選手権を防衛した後,12月のデビル・雅美戦を前に脱臼。王者を返上して翌年の2月に全日本女子プロレスを引退しました。一時的に王座を明け渡すことはあったのですが,4年半にわたってトップに君臨。そしてその原動力は押さえ込みの実力だったわけです。柳澤はこの点から,世界中を探しても横田くらい偉大なチャンピオンはひとりもいないといっています。プロレスなのでそれを偉大と表現していいのかどうかは僕には分からないのですが,横田のようなチャンピオンがほかにはいないということは事実だと思います。
後に復帰していますが,それは僕の女子プロレスキャリアが終った後です。
認識論に近い立場から平行論へ移行していった僕が,平行論は認識論より唯物論に近いという印象を抱いたのはごく当然のことといえます。ですから,平行論という理論が,認識論あるいは観念論より唯物論に近い論理であるというのは,一般的には肯定しにくいと思います。とはいっても,スピノザの哲学すなわち平行論を貫いているのは神Deusの本性の必然性であって,それを僕たちは自然法則という語で認識しているというのは事実です。したがって平行論のうちには物理法則や化学公式といったものも含まれていると解さなければなりません。ですから当然ながら精神mensを離れた事物の形相的有esse formaleが,スピノザの哲学の対象となっているということは間違いないのです。しかも,物理法則とか化学公式というのは,現実的に存在している,いい換えれば時間的に持続しているといわれる物体corpusにも適用可能な法則です。つまり,理性ratioの本性naturaは事物を永遠の相species aeternitatisの下に認識するcognoscereことにあり,この場合はそうして認識された観念の対象ideatumも永遠の相の下に,すなわち神の属性attributumに包容される限りで存在する形相的有でなければならないのですが,スピノザの哲学の射程は,その限りでの形相的有に限られているわけではなく,現実的に存在している物体にも及ぶのです。同時にそれは,そういう物体の観念idea,つまり現実的に存在している事物の観念にも及ぶということです。
ここまでのことが概略つまりこれから示すヒントとなることの前提です。ここからはあるひとつの問いを具体的に検討していくこにします。そこからヒントが生じてくるからです。
問いは事物の形相的有と客観的有esse objectivumすなわちその事物の観念とが関係するようなものであれば何でもよいのですが,ここではスピノザの哲学において「我」というのは,観念の集合としてのみ存在するものなのか,それとも観念すなわち観念の集合である知性intellectusを離れて形相的にformaliterも存在するもなのかというものを立てることにします。語句の使用は異なりますが,こういう主旨の質問はかつてこのブログで受けたことがあり,同時に現在の考察についてとても適切なものだからです。
ただし,今は「我」というのを概念notioとは考えないことにします。

僕が見始めた頃にはトップだったわけですから,それ以前のことは詳しく知りません。デビューは1977年6月。当時はビューティペアのブームで新人が多く,しかし経営陣は自分たちの手でスターを育てる能力には欠けていたので,実力で勝った選手を上で使うという方針を決定しました。つまり全日本女子プロレスでセメントが行われるようになったのは横田がデビューした頃からだったことになります。
同期の新人たちによる新人王戦は1回戦で判定負けしたものの,1980年1月に全日本ジュニアで初タイトルを獲得。そして翌年の2月にジャッキー・佐藤を破ってWWWAの王者になりました。これらの試合もすべてセメントで,横田はそれが当然の時代だったと発言しています。つまりトップであるWWWAの選手権もセメントいい換えれば押さえ込みルールで行われていたわけで,横田は文字通りにその実力でトップを勝ち取った選手であることになります。
1985年8月にライオネス・飛鳥を相手にWWWA選手権を防衛した後,12月のデビル・雅美戦を前に脱臼。王者を返上して翌年の2月に全日本女子プロレスを引退しました。一時的に王座を明け渡すことはあったのですが,4年半にわたってトップに君臨。そしてその原動力は押さえ込みの実力だったわけです。柳澤はこの点から,世界中を探しても横田くらい偉大なチャンピオンはひとりもいないといっています。プロレスなのでそれを偉大と表現していいのかどうかは僕には分からないのですが,横田のようなチャンピオンがほかにはいないということは事実だと思います。
後に復帰していますが,それは僕の女子プロレスキャリアが終った後です。
認識論に近い立場から平行論へ移行していった僕が,平行論は認識論より唯物論に近いという印象を抱いたのはごく当然のことといえます。ですから,平行論という理論が,認識論あるいは観念論より唯物論に近い論理であるというのは,一般的には肯定しにくいと思います。とはいっても,スピノザの哲学すなわち平行論を貫いているのは神Deusの本性の必然性であって,それを僕たちは自然法則という語で認識しているというのは事実です。したがって平行論のうちには物理法則や化学公式といったものも含まれていると解さなければなりません。ですから当然ながら精神mensを離れた事物の形相的有esse formaleが,スピノザの哲学の対象となっているということは間違いないのです。しかも,物理法則とか化学公式というのは,現実的に存在している,いい換えれば時間的に持続しているといわれる物体corpusにも適用可能な法則です。つまり,理性ratioの本性naturaは事物を永遠の相species aeternitatisの下に認識するcognoscereことにあり,この場合はそうして認識された観念の対象ideatumも永遠の相の下に,すなわち神の属性attributumに包容される限りで存在する形相的有でなければならないのですが,スピノザの哲学の射程は,その限りでの形相的有に限られているわけではなく,現実的に存在している物体にも及ぶのです。同時にそれは,そういう物体の観念idea,つまり現実的に存在している事物の観念にも及ぶということです。
ここまでのことが概略つまりこれから示すヒントとなることの前提です。ここからはあるひとつの問いを具体的に検討していくこにします。そこからヒントが生じてくるからです。
問いは事物の形相的有と客観的有esse objectivumすなわちその事物の観念とが関係するようなものであれば何でもよいのですが,ここではスピノザの哲学において「我」というのは,観念の集合としてのみ存在するものなのか,それとも観念すなわち観念の集合である知性intellectusを離れて形相的にformaliterも存在するもなのかというものを立てることにします。語句の使用は異なりますが,こういう主旨の質問はかつてこのブログで受けたことがあり,同時に現在の考察についてとても適切なものだからです。
ただし,今は「我」というのを概念notioとは考えないことにします。