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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヒューリック杯棋聖戦&円という様態

2019-06-05 19:18:26 | 将棋
 淡路島で指された昨日の第90期棋聖戦五番勝負第一局。対戦成績は豊島将之棋聖が5勝,渡辺明二冠が12勝。千日手が二局あります。
 振駒で渡辺二冠の先手。相矢倉を目指す立ち上がりから7七の銀を6六に上がる意欲的な作戦。力戦の相居飛車になりました。先手が飛車先の歩を交換し,後手の豊島将之棋聖は9筋の位を取るという序盤。後手から仕掛け,はっきりとした差がつかない戦いが延々と続きました。
                                        
 ☗4四銀打の王手に3三から王を引いた局面。先手は☗7二飛と打ちました。詰ますには駒が足りませんので,7筋の受けにも利かせた一手です。これに対して☖3二角と受けました。これは最善の受けだったかどうかわかりませんが,先手玉をにらんでいます。なので先手はこの角を外しにいくことになりました。それが☗3三金☖1三王☗3二金☖同金の手順。
 ここで☗同飛成は☖7五桂で負けです。ただ飛車が7筋にいればその筋はないので,手番は先手。端玉には端歩の手筋で☗1五歩☖同歩と進めました。
                                        
 第2図で☗3三銀不成と指せば☖同金とは取れないので☖4二金打と受けることになり,まだ接戦が続いていたようです。実戦は☗1四歩☖同王☗1六歩と攻めていったため,入玉を阻止する必要が出てきて後手玉が寄りにくくなりました。この手を境に後手の勝ち筋に入ったようです。
 豊島棋聖が先勝。第二局は19日です。

 カヴァイエスJean Cavaillèsはスピノザの形而上学の基礎的部分,たとえば神Deusは絶対に無限な実体substantiaであるとか,無限に多くのinfinita属性attributumが存在するといった点にはあまり興味がなかったかもしれません。形而上学的にいえば確かにカヴァイエスは数学属性を立てていますが,それがたとえばスピノザの哲学でいう延長の属性Extensionis attributumや思惟の属性Cogitationis attributumと同等の意味の属性であるということはできないかもしれません。
 ただ,このような数学属性というのを立ててしまえば,数学を学術的にみたときに,その対象が何であるかは簡単に説明することができます。もちろんそれは数学属性に属する一切のもの,やはりスピノザの哲学に照らし合わせていえば,数学の属性のすべての様態modusであるということになるでしょう。同時にそれは,思惟の属性の様態でもないし,延長の属性の様態でもありません。いい換えれば観念ideaではありませんし,物体corpusでもありません。もちろん数学属性の様態の観念というのは存在し得るのであり,その限りではそうした観念が学術としての数学の対象となるということはできますが,たとえばデカルトRené Descartesが規定している数学のように,数学が純粋に認識論的な学問であるということにはならないでしょう。
 とはいえ,これはひとつの解決方法,厳密にいうとカヴァイエスはそれを解決しようとしていたわけではないのでしょうが,解決方法であるいうことはいえますが,それをそのままスピノザの哲学に対する疑問の解答とすることはできません。たとえば円が数学の対象となるということはカヴァイエスも否定はしない筈で,しかしカヴァイエスにとって円というのは,たとえばスピノザが定義した,一端が固定しもう一端が運動することによって作成される図形である,という定義Definitioによって知性intellectusが概念するconcipereだけのものではなく,その観念の対象ideatumとして数学属性のうちに円という様態,形相的有esse formaleとしての様態があるということになりますが,スピノザの哲学でみれば,平面上に描かれた円が現実的に知性を離れて存在するならば,その円は物体すなわち延長の属性の様態であるということは否定し難いからです。ある物体は物体で,あるものは数学属性の個物res singularisであるとするのには無理があります。
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