スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京ダービー&合論理性

2019-06-06 19:01:01 | 地方競馬
 昨晩の第65回東京ダービー。4日の4レースで落馬した柏木騎手は頭部と胸部を負傷し意識不明となったためオーシャンブラックは西啓太騎手に変更。
 逃げの候補は2頭でしたが,枠が内だったイグナシオドーロの逃げとなり,ヒカリオーソが2番手に控える形。3番手のジョーパイロライト,カジノフォンテン,ウィンターフェルの5頭が2馬身ほど抜け出す形。好位の前列にグリードパルフェとサクセッサー。コスモマーヴィを挟んでオーシャンブラックとミューチャリーの5頭が集団。2馬身差でゴールドプリンスとアエノエンペラー。2馬身差でアギトとヤマショウブラックで直後にシビックヴァーゴ。サージュは3馬身ほど置かれた最後尾。隊列が決まるのが早かったこともあり,前半の1000mは65秒6の超スローペース。
 3コーナーでヒカリオーソとウィンターフェルがイグナシオドーロに並んでいくとイグナシオドーロは一杯になり,先頭が入れ替わりました。3番手はグリードパルフェとカジノフォンテンで,外から追い上げてきたのがアエノエンペラー。直線に入るところでは前の2頭は並んでいましたが,そこから前にいたヒカリオーソの方がウィンターフェルを引き離していき,抜け出して優勝。苦しくなったウィンターフェルに襲い掛かったのはグリードパルフェと,直線でそのグリードパルフェの外に出されたミューチャリーで3頭の2着争い。最後に一伸びしたミューチャリーが2馬身差で2着。ウィンターフェルがアタマ差の3着でグリードパルフェが4分の3馬身差で4着。
 優勝したヒカリオーソ雲取賞以来の勝利で南関東重賞は3勝目。雲取賞の次に出走した京浜盃は鼻血を出して大敗。ここがそれ以来のレースで,東京ダービーに向けてのローテーションという点ではいかにも苦しそうなので軽視していました。ただ,雲取賞ではミューチャリーを抑えているのですから,能力だけでいえば勝って何ら不思議はありません。ペースが楽だったために1着と2着の間に差がついた面はありそうで,上位3頭はそれほど能力の差はないのではないでしょうか。そしてこの3頭は重賞でも通用するように思います。父はフリオーソ。母の父はサウスヴィグラス。祖母の7つ上の半姉に1995年に報知杯4歳牝馬特別を勝ったライデンリーダー
 騎乗した川崎の山崎誠士騎手は2016年の戸塚記念以来となる南関東重賞12勝目。東京ダービーは初勝利。管理している川崎の岩本洋調教師は南関東重賞5勝目。東京ダービーは初勝利。

 数学属性を立てるという解決方法は,カヴァイエスJean Cavaillèsのように数学的必然性を独自の必然性necessitasとして構築するためにはとても有効な方法ですが,スピノザの哲学が抱えている問題,すなわちその定義Definitioに虚構を抱えている円が物体corpusとして存在するとき,その物体としての円は数学の学術的対象となり得るのかという問題を,スピノザの哲学の内部で解決するのには無効です。すでに説明したように,スピノザにはデカルトRené Descartesのような普遍数学という考え方は最初からなく,あるとすれば普遍哲学とか普遍形而上学なのであって,数学はその一部に組み込まれなければなりません。ですからスピノザの場合には,これを哲学ないしは形而上学的観点から解決しなければならないのです。他面からいえば,数学的な問題であっても,そこから除外するような解決方法は無効です。
 スピノザが円の定義に虚構が含まれることを許容したのは,この定義によって知性intellectusは円を十全に概念するconcipereことができるからでした。そしてこの円の十全な観念idea adaequataからは,円の特質proprietasのすべてが必然的にnecessario帰結されるのです。というか,定義が虚構を含んでもよい,むしろ積極的に虚構を含むべきであるのは,その定義されるものの起成原因causa efficiensが定義のうちに含まれることによって,その定義されるものが有するすべての特質を導くことができるからであって,定義されるものを知性が十全に概念することができるということは,むしろ副次的な側面をもっているといっていいくらいです。
 このとき,定義される事物からその事物の特質が必然的に帰結するという点に注目します。これもすでに説明したように,スピノザにとって必然性というのは一義的なものでした。つまり定義が定義されるものの起成原因を含むということは,その起成原因から定義されるものが結果effectusとして発生するという意味なのであり,そこには原因と結果の必然性があります。同時に結果として必然的に発生したものの特質が必然的に帰結するという意味での必然性も含まれます。そしてこれらは同一の必然性です。そしてこのほかに,論理的必然性というのもあって,それもまた同一の必然性なのです。なのでこれらはすべて合論理的であるといえます。
コメント
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