スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

第三部諸感情の定義一七&形相的有の永遠性

2019-06-11 18:47:41 | 哲学
 第三部諸感情の定義一六の歓喜gaudiumには反対感情があります。それが次の第三部諸感情の定義一七で示されている落胆です。
                                   
 「落胆とは希望に反して起こった過去の物の観念を伴った悲しみである」。
 落胆が歓喜の反対感情であるということは,恐怖metusすなわち不安metusの反対感情が希望spesであり,喜びlaetitiaの反対感情が悲しみtristitiaであるということから明白でしょう。岩波文庫版の訳者である畠中尚志は,僕の解釈とは異なり,歓喜を不安のみから生じる喜びと解していたのですが,この落胆に関しては,希望からのみ生じる悲しみと解しています。
 これで僕と畠中の解釈上の相違が明らかになりました。僕は希望から生じる感情affectusは不安からも生じ,不安から生じる感情は希望からも生じるという前提から,希望あるいは不安から生じる喜びが安堵securitasで悲しみが絶望desperatioだと解します。これに対して畠中は,希望と不安のそれぞれから喜びと悲しみが生じると解していて,希望から生じる喜びは安堵で悲しみが落胆,不安から生じる喜びが歓喜で悲しみが絶望とみているのです。
 僕が歓喜と落胆をどうみるかは別の項に譲り,ここでは訳語上の注意点を指摘しておきます。畠中によれば落胆と訳したconscientiae morsusは,直訳すると良心の呵責だそうです。ですがこの訳語は少なくとも日本語としては適切ではありません。良心の呵責は悲しみではあるでしょうが,希望に反して生じたことに関する感情とはいえないからです。なのでこの感情は失望とか落胆という日本語に近いと畠中は指摘しています。ただ失望と訳すと,それは絶望と混同しやすいでしょうし,ニュアンス的に失望は絶望より弱い悲しみのような印象を抱かせます。よってこれらの難点を避けるため,僕もこの感情は落胆と訳していきます。

 ある事物が,たとえば円が,客観的有esse objectivumすなわち観念ideaとしてではなく,知性intellectusを離れた形相的有esse formaleとして永遠の相species aeternitatisの下に存在するというのはどのような事態を意味するのでしょうか。それを解く鍵が第二部定理八および第二部定理八系です。第二部定理八には形相的本性essentia formalisという,今回の考察の中でその対象としたことが含まれてしまっていますので,ここでは系Corollariumの方を援用します。
 この系から分かるのは,個物res singularisが神Deusの属性attributumの中に包容されている限りで存在する場合があることをスピノザが認めているということです。実はこの個物のあり方が,その個物が永遠の相の下に形相的有として存在するというあり方なのです。その根拠は以下のふたつの点にあります。
 まず第一に,個物がそのように存在しているなら,その個物の観念ideaは神の無限な観念が存在する限りで存在するといわれていることから分かるように,ここでいわれている個物は観念とは異なる個物です。いい換えれば客観的有である観念に対してその観念の対象ideatumとなるような形相的有でなければなりません。よってこの系で個物を包容しているとされている属性は,思惟の属性Cogitationis attributum以外の何らかの属性であるということになります。
 そして第二に,個物が神の属性の中に包容されている限りで存在するということに対比していわれるのが,時間的に持続するdurareといわれる限りにおいても存在するといわれる場合です。よって神の属性の中に包容される限りで存在する個物は,時間のうちに持続するといわれるような形態で存在する個物ではありません。すでに説明したように,持続duratioに対するスピノザの哲学での対義語が,永遠aeterunusです。したがって神の属性に包容されて存在している個物は,永遠のうちに存在しているのです。もっともこのことは,第一部定義四により属性は実体substantiaの本性essentiamを構成し,第一部定理七により実体は自己原因causa suiであるということからも明白です。自己原因は第一部定義一によりその本性のうちに存在existentiamを含んでいるのですから,存在しないとは考えられません。いい換えれば永遠に存在します。よって永遠に存在するもののうちにあるものが包容されているなら,包容されているそのものも永遠に存在するからです。
コメント
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