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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ベルモントステークス&合理的

2019-06-09 19:20:32 | 海外競馬
 アメリカのベルモントパーク競馬場で日本時間の今朝に行われたベルモントステークスGⅠダート2400m。
 マスターフェンサーは互角の発馬でしたが控えて内に。最後尾を外の馬と並んで併走する形で発走後の正面を通過。馬群は一団でしたので先頭からは6馬身くらいの差で向正面に。ここから差が開き始め,単独の最後尾となり先頭からは9馬身くらいに。3コーナーを回っても内を回っていましたが,進路が確保できそうもなかったので直線の手前で鞭を入れつつ外に。直線は大外からになり,最初は伸びあぐねていましたが,途中からは脚を使いました。とはいえ優勝争いまではいかず勝ち馬から約3馬身差の5着でした。
 前走は幸運に恵まれたところもありますが,かなりの脚を使っていました。今回は距離が伸びるためペースは落ちると予想され,もう少し前の位置でレースを進め,同じような脚を使えれば勝負圏内かとみていましたが,結果的に末脚を温存するようなレースになったので,大外を回るロスが生じてしまいました。これはこういうレースをするなら仕方がないことであり,今後もこのようなレースに徹するのなら,展開が結果に齎す影響が大きくなるでしょう。

 合理的であるというのは,一般的には理性的とか理性ratioに則していることを意味します。僕も合理的という語はこの意味で用います。一方で合論理的というのは論理に適合しているという意味です。スピノザの哲学の場合,合理的であれば必ず合論理的でなければなりません。第三種の認識cognitio tertii generisのあり方については,それを合論理的といえばいえなくもなく,しかしこれは直観知scientia intuitivaであって理性ではありませんから,合理的であるということはできません。よって合論理的というのは合理的よりも広くわたるとみることは可能で,合理的であるということは合論理的であることの一部を構成することになります。そしてそれらはいずれも能動actioに該当するのです。
 ただしここでは注意が必要です。理性は思惟Cogitatioの営みで,合論理性についても,それを論理的適合性を知るという意味では思惟の営みです。これに対して人間の能動と受動というのは,精神mensにあっても身体corpusにあっても同一であるというのがスピノザの哲学のやや特殊な考え方のひとつです。ですから能動は,少なくとも理性より広きにわたりますし,合論理性を上述のように規定すれば,合論理性よりも広くわたります。
                                   
 数学についていえば,それはまず合論理的な学問なので,第三種の認識を用いることも可能です。実際にスピノザが直観知の一例を比例で説明しているのはすでに述べた通りです。ただこのときにスピノザは,とても簡単な比例数であれば僕たちは直観でそれを認識するcognoscereことができるという意味のことをいっています。これは逆にいえば,複雑な比例数であればこれを直観で認識するのは難しいということです。このような場合は理性の出番になります。このときスピノザが理性の実例として,ユークリッド幾何学の定理Propositioを示しているのは,スピノザが数学を幾何学として考えていたということの強調材料になるかもしれません。しかしそのことはここではおいておき,スピノザが数学ないしは幾何学というのが,例外を除けば理性によって遂行される学問であると認識していたということは,この例示の仕方からみて間違いないと思います。なおこの例示については,第二部定理四〇の備考二を参照してください。
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