スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

一宮記念&回復の哲学的基礎

2010-11-25 19:16:25 | 競輪
 地元勢が3人乗ってきた一宮記念の決勝(動画)は,23日に争われました。並びは深谷-金子-服部の愛知,小嶋-山口の中部別線,川村-村上の京都で,残った坂本に有坂。
 発走は牽制。結果的に深谷の前受けになり,小嶋が4番手,川村が6番手,坂本が8番手という周回に。残り3周のバックから川村が上昇。深谷を叩くとそのまま前に。5番手になった小嶋がホームから上昇の気配を見せると川村はそのまま発進。バックでは一列棒状に。打鐘過ぎのホームから7番手に置かれた深谷が発進。最初は車が出ない感じでしたが,徐々にスピードに乗っていき,バックでは逃げる川村を捲りきりました。しかしさすがにそれで一杯。番手から抜け出した師匠の金子が優勝。このラインにスイッチの形となった坂本が外を伸びて2着に食い込み,金子マークの服部は3着まで。
 優勝した愛知の金子貴志選手は一昨年10月の千葉記念以来となる記念競輪3勝目。抜群のダッシュ力を有する選手で,早くから僕が期待していた選手だったのですが,残念ながら最近は落ち込んでしまっていました。年齢的にもうこれ以上の上積みを望むというのも少し酷なことかもしれませんが,これをきっかけに復調し,もう少し第一線で活躍してほしいと思っています。

 の日毎の回復ぶりは,僕にとっても驚きではありました。しかし一方で,僕はそういうことが生じる可能性については,それが少ないであろうと考えていたわけではありません。もちろんそれは期待とか,あるいは第三部諸感情の定義一二にいう希望のようなものであったという方が正しいのかもしれませんが,しかし僕がそのような希望を抱いたのだとしても,それには何の理由もなかったわけではなくて,ひとつの哲学的立場でもあったのです。
 第三部定理ニ,ないしは第二部定理六が示していることは,人間の身体がある運動に決定されるならば,それはあくまでも運動と静止,すなわち延長の属性の直接無限様態によって説明されなければならないということです。ところで,人間の身体というのはある物体,すなわち延長の属性の個物であるわけですから,これは第一部定理二八の仕方で発生することになります。このことは人間の身体というものを,ひとつの全体として考えた場合も,あるいは人間の身体を構成しているある部分,たとえば手とか足といったように部分的に考えた場合にも同様に当てはまらなければなりません。
 第四部定理三,あるいは第四部定理四に示されている通り,人間は受動から逃れるということは不可能です。これは人間を精神としてみても身体としてみても同様でなくてはなりませんから,ある人間の身体の運動の全体というものを,その人間の身体だけで完結して説明するということは本来はできません。しかしその上で,仮にこれが完結できると考えてみたとします。
 この場合,人間身体のある部分が運動ないしは静止に決定される場合,その原因はその人間の身体の別の部分にあるということになるでしょう。そこで前者をA,後者をBとしてみます。しかしBもまた個物ですから,この運動あるいは静止は,やはりこの同じ人間の身体の一部を構成しているCを原因として生じることになり,さらにそのCもやはり同じ人間の別の部分であるDを原因として運動あるいは静止に決定され,という具合にこの因果関係が無限に連鎖していくということになります。第一部定理二八というのは,全自然の因果関係の記述として具体的には成立しますが,この全自然を一身体に限定するなら,やはり具体的にはこういったことを示しているのだと考えていいのだと思います。
コメント
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