スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

函館記念&脳内出血

2010-11-07 18:51:10 | 競輪
 かなり冷え込むことも予期された函館記念の決勝(動画)。並びは新田-菊地-渡辺一成-内藤となった北日本,藤田-神山の関東に渡辺晴智,永井-小野の遠征。
 前受けは永井。藤田が中団で新田が後方という周回。新田の上昇はやや遅く,残り2周を過ぎてから。バックで永井に並び掛けて打鐘となりましたが,永井も引かずに激しい先行争い。前がもつれた結果,永井の番手に新田がはまり,小野,菊地と続く形に。菊地にはついていかなかった渡辺一成がバックから自力で捲っていくとこれがものの見事に決まり,あとはマークの内藤と直線勝負。迫られましたが凌ぎきった渡辺一成の優勝。内藤が2着で北日本ワンツー。藤田から内藤にスイッチの形になった神山が3着。
 優勝した福島の渡辺一成選手はこれが記念競輪初優勝。菊地の地元ということで同じ福島の新田の番手を譲ったのだと思いますが,それがかえって展開面での恩恵を受ける形になりました。やはり自力選手ですから,自力を出すようなレースになったということ,また迷わずに自力を出したということが,この優勝の大きなポイントになったのではないでしょうか。

 このときのは,目眩がひどく,身体を動かすと吐き気を催してしまうという状態。身体の右側を下にして横になっていると最も容態が安定するという状態でした。母はいつもそうしているように2階で横になっていましたので,1階に下りていくというだけでも大変な状況。にもかかわらず母は,病院へ行く前に着替えをしたいと言い出しました。僕は昨年の元旦に入院したとき,自分が何を着ているかなどということは少しも気にかけませんでしたので,ちょっと驚きました。ただ,父の遺体を荼毘にふしているときに聞いたT先生の奥さんのエピソードからすると,やはりそういうことにも普通は気が向くものなのかもしれません。このときに僕はこのことを思い出したのです。
 叔父と母が家を出たのは正午過ぎだったのではないかと思います。僕は病院と連絡を取った際に,目眩と吐き気が強く,それ以外には何の異常もない,熱もないということを伝えておきました。電話先の人は,頭を強く打ったりしたことはありませんでしたかと尋ねてきたので,僕はそれはなかったと答えたのですが,このやり取りのうちに,すでに先方では母の異変の原因が何であるかということについて,ある程度の目星をつけていたようです。検査をして,午後3時前には叔父から電話がありました。そのとき伝えられたことは,母が入院することになったということ,そして母が脳内出血を起こしているということの2点でした。
 入院のためには手続きも必要ですし荷物も必要。ただこの日は妹が家にいましたし,祖母もアパートで待機していましたので,僕は病院に行くことができず,叔父が一旦家まで戻り,僕が用意した荷物を病院に届けました。それから祖母をホームに送って行きましたので,叔父にとってはとてもハードな1日となったわけです。
 脳内出血というのは僕は予期していませんでしたが,入院するのは当然だろうと考えていたので,それ自体は驚きませんでしたし,むしろ自宅で頻繁に様子を窺わなければならない状況ではなくなりましたので,その点では安心できたくらいです。なお,このとき母が入院することになった病室は,HCU。すなわち病院こそ違えど僕が入院したのと同じ部屋。それも僕を安心させた要因のひとつ。僕自身の経験から,HCUであるなら,生命の危険があるとは考えられなかったからです。
コメント
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