第31回JT将棋日本シリーズ。決勝は23日。今年はさすがに観戦には行かれませんでした。
対戦したのは羽生善治名人と山崎隆之七段で,ここまで羽生名人が13勝,山崎七段が2勝。山崎七段の先手で相掛り。先手が棒銀から横歩を取らせるという意表の指し回し。序盤については勝又六段の解説を参照してください。
この将棋は中盤に先手のポカが出て一気に決まってしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/4d/8ee38c4cb5081286c9f2de09e5531af1.png)
ここで▲8四歩と打ち,と金を作りにいったのがポカ。△4八馬▲同玉△9ニ金で龍が取られてしまいました。
このように8二の地点に大駒がいるとき,金を香車の上に打たれて取られる手があるということは,手筋としてはおそらくアマ初段もあれば知っていると思われるもの。しかしごくまれには,プロでもそれをまともに食らってしまうことがあります。この玉形で飛車を取られては粘れず,後手の勝ちになりました。
羽生名人は7年ぶり,4度目の日本シリーズ優勝となりました。
人間の身体はきわめて複雑ではありますが,個物であることにかわりはありません。これは第二部自然学②要請一にいわれている通りです。そしてこの複雑性こそが,身体の可塑性を生じさせます。もしも人間の身体というものがもっと単純なものであったとすれば,各々の人間の身体がなし得ること,あるいはなし得ないことの差異は,現にあるほど大きくはなかった筈です。
よって,人間の身体がある運動を回復するということは,その運動が失われる以前に,どのような運動をその身体がなしていたのか,あるいはなしていなかったのかということによって,各々の人間の身体によって差異が生じてくるのです。しかるに,運動の機能が回復するということの原因は,その回復する身体の運動のみを原因として生じるのですから,かつてより多くの運動をなしている身体であればあるほど,ある運動を回復する可能性というのはそれだけ高くなるということになります。すなわちもっとも単純にいうならば,ある運動を回復するためにリハビリを行うとき,そのリハビリが成功する可能性が高い身体というのは,リハビリ自体に真剣に励む身体であるというよりは,実はそれ以前にその身体がなしていた運動の度合いが高い身体であるということになるのです。
なぜそうなるのかといえば,これは身体の可塑性とは別のもうひとつの人間身体の特質と関係してきます。前回,排尿の秩序付けというのがいかにして人間の身体に獲得されるのかということを説明しました。それは,たとえばトイレの表象と排尿する自分自身の身体の表象とを結びつけることによってなされるのですが,このとき,これらふたつの表象像は結び合わされれば結び合わされるほど,この人間の身体のうちでより確定的になっていくのです。スピノザは『エチカ』においては,単純な身体運動としてはこれを説明していませんが,たとえば第二部定理一八備考の表象像の連結の説明から考える限り,このようにいうことが妥当であるということは明らかだと思います。
したがって,リハビリが成功する確率の高い人間身体というのは,より多くの,単に回数という意味でより多くの運動をなしていた身体ということになるでしょう。なぜならば,身体の運動は,そうした多くの回数の運動によって,それだけ大きくその人間の身体のうちで確定的になっていたと考えることができ,より確定的になっているほど,それは取り戻しやすいと考えられるからです。
対戦したのは羽生善治名人と山崎隆之七段で,ここまで羽生名人が13勝,山崎七段が2勝。山崎七段の先手で相掛り。先手が棒銀から横歩を取らせるという意表の指し回し。序盤については勝又六段の解説を参照してください。
この将棋は中盤に先手のポカが出て一気に決まってしまいました。
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ここで▲8四歩と打ち,と金を作りにいったのがポカ。△4八馬▲同玉△9ニ金で龍が取られてしまいました。
このように8二の地点に大駒がいるとき,金を香車の上に打たれて取られる手があるということは,手筋としてはおそらくアマ初段もあれば知っていると思われるもの。しかしごくまれには,プロでもそれをまともに食らってしまうことがあります。この玉形で飛車を取られては粘れず,後手の勝ちになりました。
羽生名人は7年ぶり,4度目の日本シリーズ優勝となりました。
人間の身体はきわめて複雑ではありますが,個物であることにかわりはありません。これは第二部自然学②要請一にいわれている通りです。そしてこの複雑性こそが,身体の可塑性を生じさせます。もしも人間の身体というものがもっと単純なものであったとすれば,各々の人間の身体がなし得ること,あるいはなし得ないことの差異は,現にあるほど大きくはなかった筈です。
よって,人間の身体がある運動を回復するということは,その運動が失われる以前に,どのような運動をその身体がなしていたのか,あるいはなしていなかったのかということによって,各々の人間の身体によって差異が生じてくるのです。しかるに,運動の機能が回復するということの原因は,その回復する身体の運動のみを原因として生じるのですから,かつてより多くの運動をなしている身体であればあるほど,ある運動を回復する可能性というのはそれだけ高くなるということになります。すなわちもっとも単純にいうならば,ある運動を回復するためにリハビリを行うとき,そのリハビリが成功する可能性が高い身体というのは,リハビリ自体に真剣に励む身体であるというよりは,実はそれ以前にその身体がなしていた運動の度合いが高い身体であるということになるのです。
なぜそうなるのかといえば,これは身体の可塑性とは別のもうひとつの人間身体の特質と関係してきます。前回,排尿の秩序付けというのがいかにして人間の身体に獲得されるのかということを説明しました。それは,たとえばトイレの表象と排尿する自分自身の身体の表象とを結びつけることによってなされるのですが,このとき,これらふたつの表象像は結び合わされれば結び合わされるほど,この人間の身体のうちでより確定的になっていくのです。スピノザは『エチカ』においては,単純な身体運動としてはこれを説明していませんが,たとえば第二部定理一八備考の表象像の連結の説明から考える限り,このようにいうことが妥当であるということは明らかだと思います。
したがって,リハビリが成功する確率の高い人間身体というのは,より多くの,単に回数という意味でより多くの運動をなしていた身体ということになるでしょう。なぜならば,身体の運動は,そうした多くの回数の運動によって,それだけ大きくその人間の身体のうちで確定的になっていたと考えることができ,より確定的になっているほど,それは取り戻しやすいと考えられるからです。