スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

観音寺記念&10月11日

2010-11-06 17:03:12 | 競輪
 かなりの豪華メンバーが集結した観音寺記念は,2日が決勝(動画)でした。並びは菅田-伏見の北日本,武田-飯嶋の茨城栃木,小嶋-山口の中部,村上-加倉の西日本で,小倉は単騎。
 武田と小嶋でSを取りにいきましたが,インの有利さで武田の前受け。菅田が3番手で小倉が続き,6番手は村上で小嶋が8番手という周回。残り2周のホームから村上が上昇,バックで叩くと武田はインで粘り,加倉をどかして番手に入りました。これを外から菅田が叩きにいきましたが,バックで一杯。様子を見ていた伏見が発進し,捲ることはできたのですが,後方で脚を溜めていた小嶋が山口を連れてさらにその上を捲りきりました。直線でも山口を寄せつけなかった小嶋の優勝で,山口が2着と中部ワンツー。3着には伏見。
 優勝した石川の小嶋敬二選手は今年は不振で,記念競輪の決勝に進出できたのが初めて。前受けできなかったことがかえって展開面で恩恵を受ける結果となり,確かに恵まれた部分はありました。それでもこの爆発力はやはり脅威的で,力が完全に衰えてしまったというわけではないということは見せつけました。むしろレース振りのまずさから安定した成績を残せていないという感がありますので,そのあたりが課題なのではないでしょうか。昨年3月の松山記念以来となる記念競輪29勝目です。

 それでは時計の針を少しだけ元に戻して詳しく説明していくということにします。
 母の異変が生じたのが10月8日。このとき,祖母はショートステイに出ていて不在でした。予定では10日に家に戻り,翌11日にホームに入所することになっていました。8日の夜の時点では,母はこうした作業を自分でこなすつもりでいましたし,僕自身もそのときはそれが可能なのだろうと思っていたのです。しかし9日の夜には母は説明したような状態でしたから,これは難しいかもしれないと僕は思いました。なお,妹は家にいたわけですが,9日は土曜でしたから仕事はなく,作業所に送っていく必要はありませんでした。妹は食事の支度などは自分ではできませんので,これは僕がやりました。
 10日になっても母の状況は改善しませんでした。祖母を迎えに行くためには車を出す必要があり,しかし僕は免許は持っていません。そこでこの日の朝のうちにアパートに住んでいる叔父を呼びました。叔父は先に母の状態を確認。病院に連れていくと言ってくれたのですが,これは母が嫌がりまして断念しました。僕としても妹の介助のほかに母の介抱もしなければならない状況でしたから,本音をいえば病院に行ってほしかったのですが,本人が嫌だというのですから仕方ありません。様子をみることにしました。
 祖母は叔父が迎えに行きましたが,ほかに翌日の入所のための準備というのが必要でした。ホームの部屋にはほとんどといっていいくらい備品がありませんでしたので,かなり多くの荷物を持ち込まなければならなかったのです。それをこの日のうちにやるということになっていたようで,これももちろん母は自分でやるつもりだったようですが,この状況ではできませんので,この日の午後に僕と叔父でホームに行って済ませました。この晩は祖母はアパートに泊っています。
 11日は体育の日で休日。つまり妹は3連休でしたので,この日も送る必要はなし。午前中に叔父が母の様子を見にきたところ,ようやく母も病院へ行くと言い出しました。というわけで,6月5日に父を運んだ病院に僕が連絡を取ると,診察が可能とのこと。妹の面倒を僕がみることにして,叔父が母を連れていきました。今回は名前を出しますが,この病院は磯子中央病院というところです。
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