スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

花月園メモリアル&点滴

2010-11-30 19:38:14 | 競輪
 花月園競輪場は昨年度をもって廃止となりましたが,施行組合は川崎と小田原でも開催権をもっているとのことで,今年は昨年までの花月園記念に相当するGⅢの花月園メモリアルが川崎競輪場で行われ,今日が決勝(動画)でした。並びは佐々木雄一に松尾,長塚-小橋の関東,岩本-白戸-佐々木龍也の南関東,三谷-中沢の近畿。
 前受けが三谷,3番手に長塚,5番手に岩本,8番手から佐々木雄一で周回。だれもなかなか動かず,打鐘前のバックで岩本が三谷を叩いて先頭に。三谷は引けず白戸と競り。一旦はスピードを緩めた岩本はホームから発進。番手は2コーナーで内の三谷が奪いました。バックに入ると中団に構えた長塚の捲り。小橋が離れ単騎でしたが持ち前のスピードであっさりと前を捕まえ,あとは抜け出して楽勝。番手から出た三谷が2着で三谷マークの中沢が3着。
 優勝した茨城の長塚智広選手は2001年の取手記念を優勝していて,グレードレースはこれが2勝目。政界への進出を図り競輪を休んでいる時期もありました。すぐ後にGⅠが控えているため,ここはFⅠレベルのメンバー構成で,それならば力は上位ですので,順当な優勝という見方もできるかと思います。武器はダッシュ力で,マークの小橋が離れたあたり,選手としての衰えというのはまだないようです。

 12日はの主治医であるN先生から話を聞くことになっていました。これが午後5時からの予定。妹は伯母に任せられる状況になっていましたので,僕はこの時間でも可能でした。アパートの叔父にとってはぎりぎりの時間で,それでも出席に意欲はみせていたのですが,この日は残業が入ってしまい,出ることができませんでした。では,僕だけがN先生から話を聞いたのかといえばそうではなく,この日は母本人も同席しました。今から考えますと,この話というのは,本来はこのように患者本人も交えて行われるこの日のようなあり方が通常だったようです。ただ,これまでの2回は,母はベッドを抜け出して医師のところまで行くということが不可能でしたので,僕と叔父だけが出席していたということ。なお,この時点では母はまだ歩行器を用いて歩くというところまでは回復していませんで,車椅子でした。
 この日も母の脳の写真を見せられたりしましたが,話のうちで最も重要だったのは,近いうちに母の点滴を外すということでした。すでに説明したように,母は目眩と吐き気を抑える薬物に関しては,点滴から飲み薬に変化していました。一方,車椅子に乗って移動が可能ということからも分かりますように,食事も横になったままではなく,ベッドに座って食べられるようになっていましたから,前回の話があった時点のように,おにぎりとか串刺しにされたおかずのような配慮はなくなり,通常の病院食を与えられていました。ただ,それをすべて食べきるということはできていませんでしたので,点滴で栄養補給もされていたのです。つまりこのときも,単に母だけでなく,点滴も一緒に移動していたわけです。
 一方,脳の状態は,本格的なリハビリに移行できるまで回復していました。ただ点滴をしていますとそれが物理的に不可能ですので,そのために点滴を外し,食事だけで栄養補給をするようにするということになったのです。すなわち点滴を外すということは,小脳出血の治療段階としては,最終的段階といえるリハビリに入るということを意味していたわけです。
 こうした話があり,最後に僕の方から,介護保険の意見書を書いてもらうようにお願いして,この日の主治医との面談は終りました。治療としての最終段階に入りますので,退院についても目途が立ったのかといえばこれはさにあらず。リハビリは月単位で考えなければいけないとのことでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする