先日のブリーダーズゴールドカップでは残念な結果に終ったイングランディーレですが,この馬は一昨年の天皇賞(春)GⅠに出走,かなりの人気薄であったのですが,道中は後続を大きく引き離して逃げ,結局そのままその年の年度代表馬になる2着のゼンノロブロイに大きな差をつけて逃げ切ったというGⅠ馬です。で,このイングランディーレも,母系を辿っていくとかなり古い時代に日本に輸入された馬に遡ることができるのです。
日本での祖となっているのは1922年(大正11年)にアメリカで産まれたクヰックランチ(4-r)という馬。輸入されたのはおそらく1929年(昭和4年)だろうと思います。この系統は現在ではそれほど幅広く枝葉を広げているとはいい難い面があるのですが,このイングランディーレが輩出したペルルピーチ(イングランディーレの4代母)という馬からの系統は,社台グループを中心に,現在でも新しい広がりをしつつあるといえそうです。
明日は久留米記念の決勝ですが,自力型が7名という凄いレースになりました。確定している並びは,吉岡ー足達の九州,関東3車は昨日と同様に別れて,峠ー坂本英一で,阿部は北日本単騎の坂本勉につけ,基本はこの3分戦。ただ,吉岡は中国単騎の井上につける可能性も残されているようです。金山と関根はそれぞれ単騎で戦うようです。自力なら吉岡選手◎で,この場合は足達選手○も連れてくるでしょう。吉岡選手が井上選手に任せるようだと,峠選手の先行に乗る坂本英一選手▲と,先行争いになった場合に坂本勉選手の捲りに乗る阿部選手△もありそうです。
少し飛んで第一部定理七です。
「実体の本性には存在することが属する」。
この定理Propositioも実在的に証明されているのか名目的に証明されているにすぎないのか議論の余地があるのですが,ここでは第一部定義三を名目的な定義Definitioであるという解釈のもとで話を進めているので,それだとこの定理を実在的に証明するのは困難なので,これも名目的な定理であると(この場合には,第一部定理一から第一部定理八まではすべて名目的であるということになります)考えることにします。もちろんそれで,『エチカ』自体の中身に混乱は起こらないというのが僕の考えです。
したがってこの定理の意味は,もしも実体substantiaというものが存在するのであれば,その実体の本性naturaには,その実体が存在するということが含まれていなければならないと理解することにします。ところで,第一部定義一によれば,本性が存在を含むessentia involvit existentiamものを自己原因causam suiというのですから,これは,実体が存在する場合には自己原因として存在するという意味になります。
日本での祖となっているのは1922年(大正11年)にアメリカで産まれたクヰックランチ(4-r)という馬。輸入されたのはおそらく1929年(昭和4年)だろうと思います。この系統は現在ではそれほど幅広く枝葉を広げているとはいい難い面があるのですが,このイングランディーレが輩出したペルルピーチ(イングランディーレの4代母)という馬からの系統は,社台グループを中心に,現在でも新しい広がりをしつつあるといえそうです。
明日は久留米記念の決勝ですが,自力型が7名という凄いレースになりました。確定している並びは,吉岡ー足達の九州,関東3車は昨日と同様に別れて,峠ー坂本英一で,阿部は北日本単騎の坂本勉につけ,基本はこの3分戦。ただ,吉岡は中国単騎の井上につける可能性も残されているようです。金山と関根はそれぞれ単騎で戦うようです。自力なら吉岡選手◎で,この場合は足達選手○も連れてくるでしょう。吉岡選手が井上選手に任せるようだと,峠選手の先行に乗る坂本英一選手▲と,先行争いになった場合に坂本勉選手の捲りに乗る阿部選手△もありそうです。
少し飛んで第一部定理七です。
「実体の本性には存在することが属する」。
この定理Propositioも実在的に証明されているのか名目的に証明されているにすぎないのか議論の余地があるのですが,ここでは第一部定義三を名目的な定義Definitioであるという解釈のもとで話を進めているので,それだとこの定理を実在的に証明するのは困難なので,これも名目的な定理であると(この場合には,第一部定理一から第一部定理八まではすべて名目的であるということになります)考えることにします。もちろんそれで,『エチカ』自体の中身に混乱は起こらないというのが僕の考えです。
したがってこの定理の意味は,もしも実体substantiaというものが存在するのであれば,その実体の本性naturaには,その実体が存在するということが含まれていなければならないと理解することにします。ところで,第一部定義一によれば,本性が存在を含むessentia involvit existentiamものを自己原因causam suiというのですから,これは,実体が存在する場合には自己原因として存在するという意味になります。