スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

鞭の使用&偶然の証明

2006-08-12 22:37:13 | 海外競馬
 キングジョージの記事の補足として,なぜ僕が騎手の鞭の使用を制限することをばかげたことだと考えるのかを説明します。まず基本的にサラブレッドは競馬のために(乗馬にも用いられますが,メーンは競馬です)生産されるわけです。つまり,人間にとって,生きるためには必ずしも必要ではない娯楽のために生産されています。そしてサラブレッドにとって競馬とは,それ自体で苦しいものなのではないかと思うのです。したがって,動物愛護という観点からは,サラブレッドの生産自体がその精神から逸脱しているだろうと思います。しかし,野生のサラブレッドというのは存在しない(野生の馬はいます)わけですから,競馬がなくなればサラブレッドというのはほぼ絶滅状態になるでしょう。すると少し逆説的ですが,個々の馬(サラブレッド)という観点からすれば,馬は競馬によって淘汰されていくわけですから,レースで勝つということが,生き延びていき,また子孫を残していくために最善であるということになります。なので,もしも鞭で叩かれることによってレースで勝てるのであれば,叩かれないで負けるよりその馬にとってはよいでしょう。したがって,勝負に関係のないところで鞭を入れることを規制することは意味があるでしょうが,この場合のようにまさに勝負がかかった(しかも大レースで)場面の鞭の使用を制限するのは本末転倒だと思うのです。競馬というのが人間のエゴそのものを基本にしているのは事実ですが,それを認めた上で,騎手の鞭の使用を一律に制限することを,僕は疑問に思うのです。
 明日は小田原記念の決勝です。ラインは吉川ー出口の地元,山田ー斎藤の北日本,荒井ー小野の九州,市田ー山内の近畿中部で4分戦,関東単騎の堀は地元か北日本の後ろでしょう。ここは荒井選手◎と小野選手▲からいくか,市田選手○からいくかです。怖いのは斎藤選手△です。

 スピノザの考え方を一通りみたところで,必然性の問題に戻ります。原因から結果が必然的に生じるということが,それ自体で正しいかどうかを,偶然という観点から問題視してみても,スピノザにいわせれば,偶然というのは人間の知性が有限であるがゆえの認識の不足にのみ依存するのですから,ただそう考えることも可能であるというだけでは,有効な反論にはなり得ません。もしこの方法でこれ自体を否定しようとするならば,AからBが生じるのは偶然である(必然的ではない)ということを証明する必要があるのです。しかしそれを証明するのは困難です。したがって,この点に関しては,スピノザの主張をとりあえずは受け入れることとします。仮にこれを受け入れたとしても,まだこの強い意味の因果論には問題が残っているように思うからです。
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