スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

もう1回&自己原因と原因

2006-08-24 23:12:29 | NOAH
 プロレスキャリアでは自分の方が先輩でも,年上の人には敬称をつけなさいと教えていたジャイアント馬場さんですが,僕には馬場さんのことばの中に,強く印象に残っているものがひとつあります。
                                        
 日本テレビで放映されたある番組の中で,落語家の笑福亭鶴瓶さんが馬場さんを訪ねたときのこと,鶴瓶さんが,馬場さんが腕立て伏せのトレーニングに用いているある器具に興味をもちました。すると馬場さんは,トレーニングしなさいとその器具を鶴瓶さんにあげたのですが,同時に,鶴瓶さんはプロではないのだから,トレーニングが辛いようならやめればいいといった後で,でも,もうだめだ,苦しくて辛くてもうできないと思ったときには,もう1回だけはやってみた方がいいと思いますよとアドバイスしたのです。このことばが僕には忘れられません。苦しくてどうしようもないときに,それでももう1回だけはやってみる。人生訓といってはオーバーかもしれませんが,僕はこのことばを折に触れては思い出しています。

 明日は久留米記念の2日目優秀です。並びは予想。福岡3車は,吉岡ー紫原ー池尻,井上ー浜口の西日本,関東が3人で,連係なら峠ー坂本英一ー阿部,ただ,青森の坂本勉が単騎になるので,どちらかがこちらを目標にするかもしれません。先行はおそらく峠選手で,それなら吉岡選手◎の捲りです。相手も紫原選手○(並びは予想なので,池尻選手が番手なら池尻選手)。あとは坂本英一選手▲(これも,峠選手の番手が阿部選手なら阿部選手)と坂本勉選手△です。

 一般に僕たちは,自己原因を原因のようなものとイメージ(表象)します。つまり,原因とはそれとは本性も存在も異なる結果を生み出すもので,自己原因とは,自分自身が原因でも結果でもあるようなものと類推するのです。しかし,『エチカ』は自己原因から始まっていますし,スピノザは,神は自己原因であるといわれるのと同じ意味で万物の原因であるということを強調するので,『エチカ』においてはこの類推はあまりよくありません。自己原因が原因のようなものなのではなく,原因こそ自己原因のようなものなのです。つまり,初めに自己原因といわれるような原因があって,原因と結果といわれるような意味での原因というのは,この自己原因から生じてきます。
 このことから考えても,原因が与えられれば必然的に結果が生じるということの背後に,自己原因が前提されていると考えることは妥当なのではないかと思います。
コメント
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