杉浦貴選手のことを税金泥棒といった高山善廣選手。2004年の8月の試合後に倒れて以来(脳梗塞),ずっと欠場を続けていましたが,このたび来月16日のNOAHの日本武道館大会での復帰が発表されています。カードも高山選手が小橋選手と組んで,三沢選手・秋山選手のチームと対戦するという,こういう機会でなければ考えられないような豪勢なもの。高山選手が倒れたのは新日本での佐々木健介選手との対戦の後ということで,僕は新日本(当時と体制はずいぶん変っていますが)か佐々木選手(現在の主戦場は全日本)が絡むカードでの復帰と予想していたのですが,NOAHでの復帰ということは,高山選手の何らかの意志が作用したと考えられ,それに対してNOAHの側も最大級のカードで応えたということだと思われます。これでNOAHの7月の武道館大会ではGHCのヘビー(チャンピオンが秋山選手なので),タッグ(チャンピオンのひとりが小橋選手のため),ジュニア(チャンピオンの杉浦選手がヨーロッパへ遠征するため)のタイトルマッチがなくなったわけで,まさにこの試合一本で勝負する興行となりました。
明日,棋聖戦の第二局です。後手番の鈴木八段がごきげん中飛車,対して佐藤棋聖が角交換から▲9六歩とする戦型がかなり濃厚。ま,この予想は的中しても配当がありませんけど。
定理一三の備考の中でスピノザが「すべての個体は程度の差こそあれ精神を有している」というとき,何よりも注意しなければならないのは,スピノザがいう精神の意味です。スピノザによれば,すべての形相的事物にはその十全な観念があり,その形相的事物と観念は同一個体であり合一しています。すなわちどんな事物もある形相的な属性の様態であると同時に思惟の様態なのです。そしてスピノザは,事物がそのように合一しているという事態を思惟の属性によって表すとき,それをその事物の精神というにすぎないのです。したがって,スピノザのいう精神というのを,ある機能的な意味で理解してはならないのです。
明日,棋聖戦の第二局です。後手番の鈴木八段がごきげん中飛車,対して佐藤棋聖が角交換から▲9六歩とする戦型がかなり濃厚。ま,この予想は的中しても配当がありませんけど。
定理一三の備考の中でスピノザが「すべての個体は程度の差こそあれ精神を有している」というとき,何よりも注意しなければならないのは,スピノザがいう精神の意味です。スピノザによれば,すべての形相的事物にはその十全な観念があり,その形相的事物と観念は同一個体であり合一しています。すなわちどんな事物もある形相的な属性の様態であると同時に思惟の様態なのです。そしてスピノザは,事物がそのように合一しているという事態を思惟の属性によって表すとき,それをその事物の精神というにすぎないのです。したがって,スピノザのいう精神というのを,ある機能的な意味で理解してはならないのです。