家畜窃盗事件で初手柄 自転車に血痕「不審、追及」
コロナ禍の昨今、お米が盗まれたり、家畜が盗まれたりする事件が多発しているようです。その中で、外国人による犯行は少なくないのですが、それを指摘すると「差別だ」と叫ぶ人たちも少なからずいます。
この「差別」という言葉、誤解を恐れず申し上げると、犯罪者にとって誠に都合の良い言葉でもあります。
私はこういうシチュエーションで「差別」を使う人を聞くと、30年以上前、厚木で中学校の教員をしていた時を思い出します。
中二病などという言葉が、まだなかった時代ですが、その年代の子供は今も昔も変わりません。時に授業を抜け出して良からぬことをするので、教員の義務として注意するのですが、その時に出てくる常套句がこんな言葉です。
「サベツだ!」
「どうしてオレばっか」
「ショーコがあんのかよ」
「なんでオレだけ注意して、アイツらに言わねえんだよ」
この言葉に対して、彼らを諌めることができる言葉はなかなかありません。
だって、最初から注意を聞く耳がないんだもん。いわば確信犯ですね。
もちろん、その時の生徒さんたちはとうに四十路を過ぎているので、社会に出て今でもこんなことを言っている筈はありません。
しかしながら、明らかな窃盗や破壊行為を目の前にして、「差別」という言葉を使っている人種…それは犯罪者か、あるいはその片棒を担いでいる人間です。
推定無罪は近代法の原則ですので、法や治安に関わる人間なら遵守すべきですが、農家や畜産家は、それを待っていては泣き寝入りをしないといけません。
まあ、不必要な先入見を持つのは正直良いことではありませんが、日本人相手でも外国人相手でも明らかに、“これは危ない” とわかる感覚は大切です。
十把一絡げに人を差別をするのはいけませんが、明らかな犯罪を前に「差別」をタテに取るのは、被害者に対する差別とも言えます。
まあ、こんなことはブログ記事にすることではなく、各々が思っていれば良いことですが、差別の問題はなかなかややこしい。
みなさまは如何お考えになりますでしょうか。
写真は玉造温泉・長楽園で昭和天皇がお泊まりになった部屋のものです。