小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

花風社 創立25周年、誠におめでとうございます!〜治っていく読者さんがどんどん増えますように。

2021-02-06 08:15:49 | Weblog

今月23日、畏れ多くも陛下の誕生日と同じ日が…私にとって最も大切なクライアントであり友人である、花風社さんの創立25周年記念に当たります。

これは天皇誕生日を狙ったわけではなく、たまたま偶然ということなのですが、実は私がフリーランスになったのも偶然同じ年、平成8年(西暦1996年)の4月1日でした。

このたび花風社創立25周年を記念した、浅見社長の動画を拝見したのですが、いや実に懐かしかったし、楽しかったなあ!
クローズドな動画ですので、内容はここでは記しませんが、花風社立ち上げから比較的早くに知り合ったということも、わかってはいたものの新めてびっくりしました。

浅見社長と最初に出会ったのが、何時だったか、長いこと忘れていたのですが、これを見てようやく思い出しました。

昔、西新橋に「集&YU」という交流会があって、そこの知り合いに浅見社長の講演会を紹介してもらったのでした。場所は横浜のどこかで(完全に思い出せない)、そこで名刺交換したのがはじまりだったのです。

創設当時、花風社さんは翻訳スクールを営んでいて、そこの生徒さんにニキ・リンコさんが来ていたことも思い出しました。可愛い人だったというのが印象です。

また、まだ自閉っ子ど真ん中だった藤家寛子さんと初めて東麻布で会ったこと。
まさか、ここまで自閉っ子から脱却して、バリバリの社会人になるとは、当時は想像もしていませんでした。

花風社の著者である南雲明彦さんが、「花風社の存在がなかったら、発達障害の業界の実態がここまで明らかにされてこなかっただろう」といった意味のことをおっしゃっていましたが、本当にその通りだと思います。

その言葉で、私は自分の身内で若くして亡くなったという、自分の伯母のことを思い出しました。

以前にもブログに書いたようですが、私の母には姉と妹がいるのですが(当然、私のおばに当たります)、若くして亡くなった別の伯母が、もう2人おりました。

1人は病死だったようですが、もう1人の伯母は自殺だったそうです。

私がそれを知ったのは五十路を過ぎた頃、ある出来事がきっかけでした。
(その出来事、今はお話できないのですが、それは花風社さんが大きく関わって解決した話なので、いずれいたします)。

母の話では、伯母が自殺したのは、私が生まれた3日後だったそうです。
当時で言うノイローゼ。今で言うとウツでしょうね。

精神病院に入っていたそうですが、そこで電気ショック療法みたいなことをされていたそうで、母は「あんなことをされて、かえってわるくなったんじゃないか」と言っておりました。

自分が生まれて3日後に、妹が自殺した母の心中はいかなるものだったか…。
長いこと私に話さなかったのも、よくわかります。

今となっては、伯母が亡くなった本当の理由はわかりませんが、発達障害の世界も同様に、治さないどころか、かえって悪くすることが横行しているのは事実です。

一方で、花風社読者の中で、どんどん治っていく人たちが大勢いることも間違いありません。この25周年はあくまで通過点だと思いますが、これからも治っていく読者さんが増えていくことは間違いないでしょう。

次回の花風社さんの新著、私もマンガで参入することになりました。
少しでも良い仕事ができるよう精進しますので、読者のみなさん、お楽しみにお待ちくださいませ!

コメント
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