小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

母校・旧赤坂小学校跡の「国際医療福祉大学」の学食で、赤坂定食を頂きました。

2018-06-28 09:56:41 | Weblog

昨日はセブン区議と地元の友人とで、赤坂に新しくできた国際医療福祉大学の学食に行ってみました。

ここはタイトルにも書いたように、わが母校・旧赤坂小学校の跡地に建てられた大学です。赤坂小学校が廃校になったのは今から25年も前のこと。

その後、旧校舎は桑沢デザインなど、さまざまな学校や施設として使われてきたそうですが、ようやく本格的な再開発が完了しつつある(まだ旧校舎敷地跡は工事中でした)というところ。

大きな神輿のある(写真撮り忘れた)入口を抜けると、いちおう守衛さんが行き先を聞いてきます。「学食です」と言ってエレベーターを上がると、もう旧赤小の面影は欠片もありませんでした。

私が小学校に入りたての時は木造校舎があって、冬はダルマストーブなどがあったものです。たまに雪が降ると、ダルマストーブの蓋に雪だんごをのせて、ジューと音をたてて溶けていくのを楽しみました。

ところで私は小学校低学年までは友だちと遊ぶのが好きではなく、古い木造校舎の裏手にあった、蔦の枯れた吸盤を「ツタ取り」と称して、ひたすらポツポツと取っていく遊びをしたものです。

別に悪いことをしているわけでないのに、どういうわけか担任の先生の耳に入り注意され、家に帰ってから「遊ばない」と母にえらい叱られた記憶があります。
長じて遊んでばかりいるようになったので、母のお叱りは一定の効果があったということかな(笑)。

今考えると、人づきあいがイヤだったわけではなく、なにしろ運動が苦手だったので、休み時間に外で遊ぶことが嫌いだったのでしょうな。

もちろん苦手な野球などはやりたくもない。担任ではありませんでしたが、体育の先生だったK口先生もきらいだったので、そんなこともあったのでしょう。

それから木造校舎の池にいたタニシを取ったりもしていたかな。

さて、広い天井の学食は12時ちょっと過ぎなのにガラガラ。

これはまだ授業が終わってなかったのと、おそらく新設校なため1年生しかいないためでしょう。12時半を過ぎた頃からわらわらと学生さんたちがやってきました。

みな育ちが良さそうな、良い意味でまともな子ばかりなようですね。

券売機を見ると「赤坂定食 580円」なるものを発見。名前に惹かれて頼んだら、ただの唐揚げで可もなく不可もない感じで、ただ唐揚げになぜかタルタルソースがトッピングされていました。

母校の片鱗もありませんでしたが、食べ終わって大学を後にした時に、頭の中になぜか校歌が流れて来ました。

ひごとよごと、みやーのときーわーぎー、みーどーりまーしーてー、とーわーにしめすー、あさーにゆーに、せちにいのーりー、ちかうーはまーこーとー、こ・れ・ぞ、ほこーりーの、とおーときーおーしえ、あ、かーさかしょーおーがく、さちあーるーまなーびーやー♪

 
コメント
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