小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

卒業式での和装を禁じた高校は・・・

2014-12-24 10:18:49 | Weblog

こちら2ヶ月ほど前にUPされていたものだそうですが、荒川区の区議がFacebookでUPした大阪府のとある高校(て、実名が書かれてますが)の卒業式への通達書です。

読めば、これが本当に教育に携わる者の文章かという内容ですが、これが一部の教育現場の現状ということでしょうね。

この文書、二重の意味で問題があります。

ひとつの問題は和装を禁じるという、日本文化への否定です。
ここの校長が日本文化のきらいな日教組系の人かどうかわかりませんが、まあ、これは論ずるに値しない話で、百歩譲ってそもそも華美がいかんのなら、なぜ和装のみを禁ずるのか。
これは、このタイプの教育現場の人たちが金科玉条にしている「平等」にも反する話であります。

そして、和装を禁じた理由が「華美を競うものが、保護者に負担を与えるのが事実」というもの。もちろん高校の実情はわかりません。
しかし保護者の卒業式での出で立ちが、どのように華美なのかわかりませんが、それを高校側で介入して、しかも和装だけに関して禁じるというというのは如何なものでしょう。

卒業式というハレの舞台で、それなりの衣装をしたいと思うのは人情でありますし、それが「したくても華美な衣装をできない人にかわいそう」という理由で禁じるというのが、果たして世のためにプラスになることなのか。

個人的な考えを言うと、和装を禁じる理由となった「過剰な平等意識」の方が問題だと思うのです。

先日、上梓された木下麻奈さんの「折れない子どもを育てる」の一節を借りれば、「社長になれない子がかわいそうだから、社長は必要ない」「総理大臣になれない人が気の毒だから、総理大臣は禁止」といった、世の中のために何の益にもならないばかりか、むしろ害毒になる平等意識です。

長く生きていけばいくほど、不平等を見せつけられますし、ある時はそれをガマンして乗り越えていかなければならないこともある。
子どもの生きる力を削いでしまう教育の根本は、こうした過剰な平等意識、歪んだ平等意識に根底があるように思えます。

こうした文書を見ると、実は教育現場は日本人をダメにするために、わざとやってるのではないかと勘ぐりたくもなりますが、みなさまは如何お考えでしょう。

 
コメント
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