小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

東海道五十三次 丁字屋のとろろ定食♪

2014-12-05 12:08:26 | Weblog

以前、静岡家康公るるぶでご一緒したご縁で、静岡市の観光に関わるお仕事をすることになりました。内容はまだ非公開ですが、いずれ出来上がった作品を当hpでご紹介しようと思います。

今回は観光課の方の同行で、家康公ゆかりのスポットを中心に静岡市街以外の場所も数多くめぐらせて頂きました。市の職員のみなさまには本当に手厚くしていただいて感謝です♪

静岡というのは周知のように温暖で風光明媚な地。
そのためか、気候によってのんびり育てられた駿河人気質のためか、心霊スポットというのが、あまり見当たらない土地なんだそうです。

駿府城が置かれた場所ですから、合戦などは市内から市街周辺、どこでもあったでしょうが、京都や鎌倉、八王子などという日本有数の霊場とは違うようです。

そんな中、市街から近くにある宇津ノ谷峠というところは、もっぱら「出る」ということで、この近くでは珍しい心霊スポットだそうで行ってきました。

ただ、別に心霊スポットだから行ったわけではありません(笑)。

↓ こちらは宇津ノ谷の旅籠跡(現在は住居だが、未だに屋号が玄関などに掲げられている)で、太閤殿下も立ち寄って陣羽織を作らせたという、歴史的スポットなもんで行ったのですよ。

この旅籠の上にあるのが、明治トンネルと地蔵堂跡という地元で有名な心霊スポットだそうです。ただ、何があったという伝承がハッキリ伝わっているわけではありませんが、地蔵堂跡は「蔦紅葉宇都谷峠」という歌舞伎の演目にもなった舞台。

江戸時代末期の歌舞伎脚本作家 河竹黙阿弥の作で、丸子宿と宇津ノ谷峠を舞台にした「蔦紅葉宇都谷峠」というお芝居がある。

盲目の文弥は、姉が彼の将来を憂いて京で座頭の位を得させるために身売りして用立てた百両を持って京に上る。
 
文弥は、道中、護摩の灰 提婆の仁三に目を付けられながら丸子宿にたどり着く。

一方、伊丹屋十兵衛は、かつての主人の恩義で借りた百両の返済工面のため京の旧知を頼ったが目的を果たせず、失意のうちに江戸へ戻る途中、丸子に投宿する。

地蔵堂跡 丸子宿の旅籠藤屋にこの三人が同宿したことが、文弥の百両をめぐる凄惨な結末への始まりとなる。文弥の百両ほしさに十兵衛が宇津ノ谷峠で文弥を殺害してしまう芝居の山場、『文弥殺し』の舞台がここ延命地蔵堂前である。

という凄惨な話ですが、実話ではないので、作者がこの場所の雰囲気を見て書いたのかもしれません。

明治トンネルと地蔵堂跡の写真はこちらを参照。

私が撮った写真は、かなり怖く撮れていて公開する気がいたしません。
どうしても見たい方はメールかメッセージなどでご連絡を。
どうなっても知りませんが(笑)。

明治トンネルの中は物凄い強風で、冷たく嫌な風が容赦なくビウビウ吹き付け、トンネルと地蔵堂の冷気(霊気?)にやられたのか、いい知れぬ悪寒が・・・。

その上にある地蔵堂跡は、映画「怪談」の耳なし芳一に出て来る、平家の落人の中で琵琶を弾く芳一の場面にそっくり。

悪寒は車の移動の中でひどくなり、この日のスケジュールをこなせるか不安になるほどでした。

さて、宇津ノ谷を後に続いて向かったのは、東海道五十三次二十番宿場・丸子(まりこ)地区。ここの丁字屋さんという、とろろを食べさせるお店で昼食を取ることにしました。ここは広重も描いてる小さな宿場町。

実は昼食を取る気分でもなく、悪寒が続いていたのですが、自然薯を用いた特性のとろろは凄いパワーです。

一口食べるうちに悪寒がするする引いていき、食べ終わる頃は悪寒はもちろん、何やら悪いものが出ていったような気分に。

恐るべし、とろろパワー!

栄養学的に言うと、とろろにスタミナがつくような栄養素は特に含まれてないのですが、いわゆるデトックス効果や、栄養学では見つかっていないような力があるのかもしれません。

おかげさまで一日、元気に市内を回ることができました。

観光課のみなさま、ありがとうございました!

 
コメント
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