絵描きのブログと銘打っておきながら、アートの話をしないブログになっているので、
たまにはゲージツの話をば、いたしましょう。
本日は丸の内の三菱一号館美術館で開催されている「マネとモダンパリ」の話題。
ポスターにも使われている「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」ですが、
これは私にとって美大受験をしている頃から大好きな絵で、実物も今まで何度も目にしてきた作品です。
学生時代、まだオルセーのなかった時にルーヴルでこの絵を初めて見た時、
”西洋人の彫りの深い顔をよく正面から描いているな~”なんて、
いかにも画学生らしい、どーしようもない感心の仕方をしていたのですが、
それから30年近い時を経て、またどうでもいいことに感心してしまいました。
それは、ベルト・モリゾの目に反射がない・・・。
画竜点睛なんていいますが、絵描きが人の目を描く時って、
少女マンガのキラキラじゃないけど、たいてい仕上げに目の反射に白い点を置くものです。
それに人間の目って、実際によく光るものなんです。
目は脳が進化したものだって説もあるくらいだもの。
ところがベルト・モリゾに限らず、マネはあまり目の反射を描いてないのですね。
その結果、どこを見ているのか目の焦点が定まらない不思議な表情を生み出しています。
ベルト・モリゾの肖像は、これ以外にも同じ部屋に6点ほどあって、
うち目の反射を描いているものは1点だけ。
それも片方の目にちょこっと白い点が見えるだけ。
なんで片方の目だけ光っている???
うーん、これは不思議だ・・・。
画家でもあったモデルのベルト・モリゾは、きっと複雑な内面を持った女性だったのかな。
角度によって顔も違う人みたいだし、どんなひとだったか一言で言えない感じだけど、
やはり「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」が一番本人らしかったのだろうな、
なんて勝手に思ったりする絵になっています。
さて遠目で見ると描写的で、近づくと点の集積という技法は、
印象派のさきがけというより、むしろ17世紀スペインの画家ベラスケスの流れを組んだものと思います。
ただ、それは技術的なことだけではなく、内面的な表現にそちらの方が適していることもある。
あまり細部をチマチマ描いていると、モデルの持っている内面が損なわれてしまう。
それは単純な線で描いた方が、似顔絵はその本人に似せられるように、
ざっくり描くことので、本人らしさをそこで切りとるというわけです。
展覧会を見てはじめて知ったのですが、マネは普仏戦争の時にいったん筆を折って参戦してるんですね。
フランスの画家というのは、意外にこういう骨のある人が多いです。
フランス人の一番好きな画家、ナポレオンの戴冠を描いたダヴィッドも、何度も政治犯で投獄された人でした。
ダヴィッドはナポレオンに取り入ったのではありません。
ナポレオンの方が若い頃からのダヴィッドのファンで、出世したら彼に絵を描いてもらおうと思っていたのです。
一見、クールで洒脱なマネの絵ですが、
実はそんな土性っ骨のあるところがフランス人画家の強みなように思えました。
写真は美術館外に飾られている「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」のポスターです。
今月25日までのためか、けっこうな賑わいでした。
たまにはゲージツの話をば、いたしましょう。
本日は丸の内の三菱一号館美術館で開催されている「マネとモダンパリ」の話題。
ポスターにも使われている「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」ですが、
これは私にとって美大受験をしている頃から大好きな絵で、実物も今まで何度も目にしてきた作品です。
学生時代、まだオルセーのなかった時にルーヴルでこの絵を初めて見た時、
”西洋人の彫りの深い顔をよく正面から描いているな~”なんて、
いかにも画学生らしい、どーしようもない感心の仕方をしていたのですが、
それから30年近い時を経て、またどうでもいいことに感心してしまいました。
それは、ベルト・モリゾの目に反射がない・・・。
画竜点睛なんていいますが、絵描きが人の目を描く時って、
少女マンガのキラキラじゃないけど、たいてい仕上げに目の反射に白い点を置くものです。
それに人間の目って、実際によく光るものなんです。
目は脳が進化したものだって説もあるくらいだもの。
ところがベルト・モリゾに限らず、マネはあまり目の反射を描いてないのですね。
その結果、どこを見ているのか目の焦点が定まらない不思議な表情を生み出しています。
ベルト・モリゾの肖像は、これ以外にも同じ部屋に6点ほどあって、
うち目の反射を描いているものは1点だけ。
それも片方の目にちょこっと白い点が見えるだけ。
なんで片方の目だけ光っている???
うーん、これは不思議だ・・・。
画家でもあったモデルのベルト・モリゾは、きっと複雑な内面を持った女性だったのかな。
角度によって顔も違う人みたいだし、どんなひとだったか一言で言えない感じだけど、
やはり「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」が一番本人らしかったのだろうな、
なんて勝手に思ったりする絵になっています。
さて遠目で見ると描写的で、近づくと点の集積という技法は、
印象派のさきがけというより、むしろ17世紀スペインの画家ベラスケスの流れを組んだものと思います。
ただ、それは技術的なことだけではなく、内面的な表現にそちらの方が適していることもある。
あまり細部をチマチマ描いていると、モデルの持っている内面が損なわれてしまう。
それは単純な線で描いた方が、似顔絵はその本人に似せられるように、
ざっくり描くことので、本人らしさをそこで切りとるというわけです。
展覧会を見てはじめて知ったのですが、マネは普仏戦争の時にいったん筆を折って参戦してるんですね。
フランスの画家というのは、意外にこういう骨のある人が多いです。
フランス人の一番好きな画家、ナポレオンの戴冠を描いたダヴィッドも、何度も政治犯で投獄された人でした。
ダヴィッドはナポレオンに取り入ったのではありません。
ナポレオンの方が若い頃からのダヴィッドのファンで、出世したら彼に絵を描いてもらおうと思っていたのです。
一見、クールで洒脱なマネの絵ですが、
実はそんな土性っ骨のあるところがフランス人画家の強みなように思えました。
写真は美術館外に飾られている「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」のポスターです。
今月25日までのためか、けっこうな賑わいでした。