漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

三浦しをん

2012年03月04日 | 読書録

 最近、三浦しをんさんの小説を続けて三冊読んだ。特に理由があった訳ではなく、たまたま図書館で、直木賞受賞作で映画化もされた「まほろ駅前多田便利軒」を手にとって、借りてきたのが最初。
 「まほろ駅前多田便利軒」は、作中ではまほろ駅となっているが、明らかに町田駅周辺を舞台にした、推理小説的な要素がちょっとある小説。これが結構面白かった。それまで三浦しをんという作家の名前だけは知っていたが、名前等から何となく、長野まゆみみたいな「腐女子作家」という感じの作家なのかな、と思っていた。ただ、娘が中学校の時にこの作家の作品が課題図書になっていて、結構面白かったと言っていたので、気にはなっていたのだ。実際に読んだ感想は、物語作家としての才能のある人だな、というものだった。
 次に読んだ「木檜荘物語」(祥伝社)は、「まほろ駅前多田便利軒」に比べると、余技的というか、やや流して書いている感じがしたけれども、構造的には同じような小説。一読して思ったのは、これは小説版「めぞん一刻」という感じだなあということ。そんな感じの、コメディ小説だった。セックスがテーマになる短編がほとんどだったので、それよりはややアダルト向けではあったけれども。
 それで次には娘に、学校の課題図書になっていたという「風が強く吹いている」を借りて読んだ。
 これが、びっくりするくらい良かった。
 十人中、二人を除いてすべてマラソン素人の集団が、半年間で箱根駅伝を目指す物語である。ありえないといえばありえない、言ってみれば、スポコン小説版「ドラゴン桜」といっていいような小説。それが、この人の手にかかれば、異様な高揚感を持った小説に変ってしまう。最終章の「流星」の章などは、圧巻という他はない。天分を持った作家と言うしかない。以前、桐野夏生の「メタボラ」という小説を読んだときに、これは漫画でもいいんじゃないかと書いたことがあるけれども、これは小説でなければダメだ、と思った。「メタボラ」は、あくまで社会的リアリティを背景にした小説で、様々な現代的な病巣を盛り込んでいたが、それとはうらはらに、というべきか、それゆえに、というべきか、漫画で読者の裾野を広げても扱う内容から受ける印象が大きく変化することはないし、むしろ強烈になる可能性があると思ったのだ。だけどこの「風が強く吹いている」は、漫画みたいな設定にも関わらず、実際に漫画にしてしまっては台無しになる可能性が高いと感じた(実際には、読んではいないが漫画化されているし、それだけでなく映画化さえされているけれども)。これは、直感的なものだ。僕の印象としては、三浦しをんは、文章で漫画を描いているのではないだろうかと思う。それも、徹底的に真摯に。
 ところで、随分と前のことだが、実は三浦しをんさんを一度見かけたことがある。場所は町田の有名な大型古書店。店員さんとずいぶん親しい話をしている女性がいるなと思い、階段を下りながらふと脇を見ると、三浦しをんさんのサインが写真入りで飾ってあった。それを見て、「あ、さっきのひとだ」と気づいた。たったそれだけのことだけれども、面白い出来事だったので、印象に残っている。