漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

《ミッドナイトランド》/ エンドレスサマー/ 26

2010年07月06日 | ミッドナイトランド
 少年は驚くほどの回復力を見せた。もともとが丈夫なのだろうが、精神力が身体の機能をさらに活性化しているのだろうと僕は思った。そしてカムリルの部屋に移ってから一週間も経たないうちに、もう部屋の中をせっせと掃除して回るほどになっていた。カムリルは部屋の中を不用意に触られることを嫌うが、少年に対しては、ここは駄目だという線引きをした上で、好きなようにさせていた。少しでも恩を返したいという少年の気持ちを大事にしたのだろうが、彼のリハビリになるだろうという気持ちも働いたのに違いない。それにしても、カムリルがこれだけの忍耐力を見せるのは珍しいことだった。やがてルピコルは、どこかで仕事をしたいのだけれどどうすればいいのかと事あるごとに尋ねるようになった。僕に思い当たったのは、店で使ってやってくれないかとガラドに頼むことくらいだった。
 「正直言うと、一人でも結構足りてるんだよね。それほど忙しい店でもないしさ」とガラドは言った。「まあ、人手があったら、それなりに助かるとは思うけどさ。忙しい時は忙しいしね。でもさ、どうせ手伝ってくれるなら、本当は女の方がいいんだよな。こんな店だしさ」
 「まあ、それはそうだと思うよ。それはわかってる。でも、ちょっとの間でいいんだ。無理を承知で頼んでるんだよ。ある程度お金が貯まったら、装備を揃えて、また《ミッドナイトランド》に出てゆくつもりらしいし。それにもしかしたら、《ミッドナイトランド》を旅してきた少年が働いているというのも、ちょっとは人を呼ぶための話題になるかもしれないとは思わないか?なあ、なんとか頼めないかな?」
 「まあねえ」ガラドはちょっと眉をしかめたが、続けた。「わかったよ。でも、悪いんだけどさ、そんなに給料は払えないよ。あんまり儲かってもない店だしさ。それでもいいかな?」
 「ありがとう。働き口があるだけでも有り難い話だ。きっと喜ぶと思うよ」
 話を持って行くと、思った通り、少年は喜んで働くと言った。随分と嬉しそうだった。自分の立場の弱さはよくわかっているらしい。それにまだ少年だったから、多少の悪条件など気にならないのかもしれなかった。少年は、話を聞いた翌日にはもうガラドの所へ行っていた。そして働き始めたが、熱心で物覚えもよく、おまけに《ミッドナイトランド》を旅してきた少年がいるという噂があっという間に広まったから、ほどなく店は随分と繁盛するようになった。決して口数が多い方ではないが、懐っこくて印象的な眼差しをしたルピコルは、特に女性客に人気が高く、彼目当てに通ってくる女性の数が随分と多くなった。思わぬ特需にガラドは驚き、僕に言った。「人助けはするもんだね。まさかこんなことになるなんてね、いや、驚いたよ。売上が、軽く倍にはなったね。彼には当分いてもらったほうが有り難いくらいだ。逆に礼を言わないといけないくらいだよ」
 
 図書館での研修は順調だったが、その頃になるとさすがに、本の山に対峙した時の気持ちにもいくらか変化は現れてきていた。研修を始めた当初には、この膨大な書物の山の中から何か思いもかけないほどの新しい資料が自分の手で掘り出されるかもしれないと思っていた。その可能性は確かにあったが、それは思ったほど簡単なことではないということもすぐに分かった。所蔵されている本の数の膨大さは、想像の域を遥かに超えていたからだ。全ての本を単に手にとってみるということさえ、一生を費やしても不可能に違いない。そう気付いた時の無力感は、言葉に言い表せないものがあったが、次第にそれにも慣れて、この巨大な《図書館》というものの存在を、素直に受け入れるしかないのだという諦念にも似た気持ちになっていた。老ヴァレック氏やオルラさんは、ずっと昔にそうした精神の状態に達してしまったのだろうと、遅ればせながらではあるが、僕は推測した。実際、これだけの情報を前にしてしまうと、圧倒されないでいるという方が無理な話だ。そういう時には、心を開いてしまって、やってくるものを素直に受け入れるという程度の気持ちでいた方がいい。僕はそう結論して、日々の研修に勤しんだ。だが不思議なもので、そう心を決めてしまってからは、ふとした機会に、思わぬ資料に遭遇することもあった。
 例えば、偶然掘り出したフールゥ・ジーナという著者による「《ミッドナイトランド》の新たなる太陽」という本には、「世界から《太陽》が失われた後、人々が力を合わせて新たなる太陽を作り上げた」という話が、詳細に記されていた。ホープスンの本にも同じような話が載ってはいたが、こちらの方が遥かに詳しい資料だ。ホープスンの本の中では、人工太陽はこの世界で造られて打ち上げられたものの、やがて燃え尽きて海に落ちたとある。だがジーナの本によると、人工太陽は最初からこの世界の外で作られたものであるらしい。だが思うようにはゆかず、ほとんど役には立たなかったとも記されている。どこまでが真実なのかは全くわからないものの、人々が《人工太陽》を創りだしたという話は、非常に興味深かった。

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