漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

海辺のカフカ

2008年02月14日 | 読書録

「海辺のカフカ」 村上春樹著 
新潮文庫 新潮社刊

を読む。

 この前の長編「スプートニクの恋人」が余りにつまらなかったので、何となくこの本もずっと読まずに来ていた。だが、たまたま図書館で眼についたので、借りてきて読んだ。
 相変わらずの村上節で、さっと読める。一読した感想は、これはこれまでの村上作品の集大成だなというもの。あちらこちらに、これまでの作品の断片が、おそらくは意図的に、挿入されている。ついでに言えば、「重力の虹」のような現代文学の断片も挿入されている。それに、「ねじまき鳥クロニクル」で中途半端に終わった彼の意図するものを、こんどはちゃんとやろうとしているような印象もある。
 だが、悪く言えば自己パロディに近い作品でもある気がする。それに、物語を総合的なものにしようとしている割には、さらに小さな内輪の世界の話を書いているようにも思える。その結果、思わせぶりなメタファーばかりが散りばめられてはいるものの、結果的に訳がわからない作品になっている気がする。村上春樹という作家は良い作家で、彼の考えていることはとても分かりやすい。だから意図していることはわからないでもないのだが、ちょっと間違った語り方をしているように思える。この作品を読みながら、なぜかちょっと思い出したのは、ジョン・ファウルズの「魔術師」と、それからアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」だ。つまり「魔術師」のような作品を書こうとして、失敗して、「エヴァンゲリオン」になってしまった作品のようだなと思ったのだ。もっとも、「エヴァ」に関しては、人から借りてテレビ版だけを見たにすぎないので、余り的を得ているのかどうかわからないが、あれはつまり過去作品の断片を思わせぶりにあちらこちらに挿入して、見る方の想像力の暴走に訴える部分のある作品だった。だが、言ってしまうと、そういった部分を取っ払ってしまったら、内容的には青臭いだけの、何ということもない作品だという印象だった。
 「海辺のカフカ」も、さらに言えば村上作品全体にもいえることだが、そうした宝探し的な愉しみ方ならたくさん出来そうだ。だが、物語り全体としては、全く面白くない。これは致命的な欠陥ではないかと思う。第一、この作品の読者として、誰を想定しているのだろう。ルビが多く使用されているから、もしかしたら15歳くらいの少年かもしれない。だが、それにしては無意味にセクシーすぎるし、物語の中に語られる世の中の仕組みについての隠喩も、こんな書き方だと余計に分からなくなるに違いないとも思う。では誰なのかといえば、僕にはちょっと想像がつかないのだ。
 村上春樹は、文章で読ませることの出来る作家で、だからちゃんと議論する価値のある数少ない誠実な作家だと思う。実際、ときどきハッとする個所に出会うことがある。だが、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の草稿版に出てくるブルカニロ博士のような知った顔の人物がやたらと沢山出てきて、いろいろと語り散らし、結局結論はないということの繰りかえしである「ねじまき鳥」以降の作品については、僕はちょっとついてゆけそうにない。