漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

フィールド・アスレチック

2008年02月12日 | 記憶の扉

 昨日の祭日、天気がよかったので、娘を連れて、二人で平和島にある「平和の森公園フィールドアスレチック」に出かけた。
 都内で尤も充実したフィールドアスレチックだということで、以前からずっと気になっていたのだが、ようやく機会を得たというわけである。
 全部で45のポイントがあり、中には大きなものも多く、確かにかなり充実している。水上を渡るコースもちゃんとある。大人が360円で子どもが100円だったから、この内容にしては結構リーズナブルである。

 フィールドアスレチック。
 小学生の頃、何度か父親にフィールドアスレチックに連れて行ってもらったことがあった。場所は忘れてしまったが、車でないと行けないような山の中にあった。
 アスレチックは山の斜面にあった。沢山のポイントがあって、難度の低いものから高いものまであった。身体を動かすことが好きだった僕は、はじめてそこに連れて行ってもらったとき、余りの楽しさに心底夢中になったのを覚えている。
 そのフィールドアスレチックには、結局三回か四回ほど連れて行ってもらったのだが、特に記憶に残っているのは、最後に連れて行ってもらったときの記憶である。詳しいことは忘れたが、無理を言って連れて行ってもらった。いつもは弟と一緒だったのだが、そのときは僕一人だった。それで、「×時になったら迎えに来るから」と、お小遣いを貰って、一人で放っておかれたのだ。それでも別にかまわなかった。此処ではとても愉しい時間が過ごせるはずだし、一人で遊ぶのは嫌いではなかったからだ。
 だが、その時にはもう僕も結構大きくなっていて、しかもたった一人ということで、時間が経つにつれて、思ったほど楽しめないことに気付いた。だが、時間はまだたっぷりとある。その場所は山の斜面にあったから、見晴らしがよかった。とはいえ、山間部だったから、眺めが特によいというわけでもない。ただ、遠くの山まで見えただけだ。
 その余った時間の大半、父が迎えにくるまで、僕は帆布で出来た揺れる大きな滑り台に寝転んで、空を見ていた。辺りからは草や樹や土の匂いがしていたのを覚えている。人も少なく、ここがどこなのかも分からない。父が本当に迎えに来てくれるだろうかと、次第に不安になってくる。だが、僕にできることは何もない。僕は辺りを見渡す。ここは愉しいフィールドアスレチックだ。だが、それにも増して、ここは山の中で、自分はたった一人なのだ。そう思った。その事を今でもはっきりと覚えている。

 娘ももう小学校を卒業しようとしている。しかも、女の子だ。だから、もうそれほどアスレチックのような遊具は愉しく感じないのかもしれない。それでも娘は、それなりに楽しみながら、一通りポイントをこなしてみせた。だが、これがもう最後の機会だろう。なんとかぎりぎりで、僕のフィールドアスレチックに対する小さなノスタルジーに付き合って貰えたようだ。