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漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

ロックガーデン

2009年09月06日 | 近景から遠景へ

 今日は奥多摩の御岳山へ。
 ロープウェイで山頂へ上り、そこから御岳神社を経て、ロックガーデンへ向かう。
最初は七代の滝も見ようと思っていたのだが、途中で分かれる道が余りにも急なため、今回は諦めて、天狗岩を経由して、まっすぐにロックガーデンへと降りていった。
 ロックガーデンというのは、要するに渓流に沿った山道で、その名前の通り岩石がごろごろしている。涼しくて、気持ちのよい道。肺が洗われる感じがする。ウォーキングコースになっていて、山道は山道だが、歩きやすいように道が整備されているから、二時間もあれば、充分に一周できる。写真は途中にある綾広の滝。
 帰りは、山頂駅から下の駐車場まで歩いたが、ずっと急な舗装道路で、歩きやすいことは歩きやすいが、膝に結構負担がかかる。時間にすれば四十分ほどだが、あまりお勧めできる下り道ではないかもしれない。

犬吠埼

2009年08月23日 | 近景から遠景へ

 今日は犬吠埼までドライブをした。
 長距離のドライブは久々。

 以前に犬吠埼に行ったのは、記録的な台風の中だった。波が道にまで上がってくるようは日。なんでそんな日に?という感じなのだが、そういうことなので、灯台にはもちろん上がれず。
 ちょっと疲れたけれど、今回ようやくリベンジが叶って、よかった。
 灯台は、思ったほどは大きくなかった。まあ、それはそうだろうと後で思ったが、余りに有名な灯台なので、ちょっと勝手にイメージが膨らみすぎていたようだ。

国立天文台野辺山

2009年08月07日 | 近景から遠景へ



 帰省の帰りに、小海線に乗ってJR最高度地点にある駅「野辺山」で降り、そこからレンタサイクルで国立天文台野辺山に行ってきた。45メートルの電波望遠鏡がある、国内の天体観測の拠点である。



 ここにあるのは電波望遠鏡なので、星を眼視できるわけではないけれども、「宇宙を覗いている眼」がこうして「どん」とあるのだと思うと、やっぱりちょっといいですね。

万博公園

2009年08月05日 | 近景から遠景へ



 帰省中、久々に万博公園に行った。
 何年ぶりだろう。「太陽の塔」も、ちゃんと健在だ。
 妻子は初めて見る「太陽の塔」の実物のインパクトに、ひどく感動した様子だった。
 公園では、「国立民俗学博物館」へ立ち寄った。
 この博物館は、僕は結構好きで、何度か訪れている。この日、弟夫婦と妹も仕事を休んで、それぞれ子供を連れて来てくれた。総勢九名。正月でもないから、全員揃うとは思っていなかったので、嬉しかった。



 上の写真は、事故が多発したことによって閉園したエキスポランド。
 子供の頃には、何度も行った場所だ。
 問題のジェットコースターが、解体されつつあった。

春日大社

2009年08月03日 | 近景から遠景へ



 奈良の春日大社は、鹿で有名。
 ここで鹿に鹿せんべいをやるのが、修学旅行生や子供たちの定番で、僕も子供の頃には何度もここで鹿にせんべいをやった記憶がある。
 丁度、母鹿は子育ての真っ最中。この時期の子供にちょっかいを出すと、母鹿が飛んできて、前足で叩かれるらしい。想像するとおもしろい図だけど、痛そうだ。
 写真は、授乳中の写真。母子ともに、比較的奥まった場所にいる。


 で、オスはというと、興福寺のような人の沢山集まる場所の、鹿せんべいの販売所の周りでたむろしている。見事にオスしかいない。





飛鳥

2009年08月02日 | 近景から遠景へ

 早めの夏休みで、帰省がてらちょっとふらふらとしていた。
 写真は、実家に帰る前にちょっと寄った奈良の石舞台古墳。蘇我馬子の墓とされている、有名な古墳。
 奈良は、子供の頃によく行った記憶があるが、大抵は春日神社とか東大寺とかで、余り明日香村の方にまでは足を伸ばしたことがない。妻がこの石舞台古墳を見たいというので、そういえば僕も見たことがなかったと思い、行く事にした。
 だが、奈良は京都と比べて範囲が広く、史跡を見て回るのは大変で、もっと他にも色々と見たかったのだが、春日神社とここだけしか観光できなかった。興福寺の阿修羅像は出張中だったし。
 明日香村は範囲が広いので、歩いて回るのは無理。本来なら自転車を借りて半日くらいかけて回るのが良いようだが、なにせこの日は暑くて、疲れもあったので、タクシーでここへ向かった後、他は諦めてしまった。本当は、亀石とか酒船石とか、他にも色々と見たかったのだけれど、それはまた次回。
 石舞台古墳は、田園風景の中に、ぽつりとある。思ったよりも小さい。暑い日だったが、内部はとてもひんやりとしていていた。
 旅行中は、ずっと上手い具合に天気には恵まれ、この石舞台古墳でも、近くの売店の店先でのんびりとした田園の時間を過ごすことが出来たのは良かった。
 

こどもたちの夢

2009年07月23日 | 近景から遠景へ

 娘が最近、ちょっと自分でお話を書いたりしているらしい。
 読ませてはくれないけれど、「ネットに小説をアップしているサイトとかあるから、自分もちょっとしてみたいな」というようなことをちらりと言っていた。友達でブログをやっている人が多いから、自分もしたいという言葉には、うんと若いうちはアナログに徹底的に関わっておくべきだと思っているから、「今はまだ駄目」と言ってきたけれど、これには「まあいいけれど、勉強はちゃんとやりなさい。それに、ネットにアップする前に、何かに応募してみるのもいいんじゃないか」と言ってみた。
 娘が作家になりたいとか、そんなことを考えているのかどうかは分からないけれど、色々とやりたいことはあるだろうし、それはどのこどもたちにしても同じはずだと思う。
 つい最近のことだが、娘が職場体験に行ってきた。娘は近所の「ちひろ美術館」に受け入れてもらえることになり、それなりに楽しかったようだが、コンビニやマクドナルドなどのような場所で職場体験をするという子供たちも多い。なかなか受け入れ先が見つからないから、そうなるのだろう。
 だけど、僕はこの「職場体験」というものの必要性を理解できない。
 子供たちの夢が未来を作ってゆくのだから、どうして今の社会に当てはめるようなことをしなければならないのか。受け入れ先にしても、子供にちゃんとした仕事を教えようとする訳なんて、ないじゃないか。「12歳からのハローワーク」とかいうけれど、必要なのはハローワークではなくて、もっと根本的な、自立するための訓練だ。子供たちの夢に真摯に耳を傾け、一緒に考えてやることだ。コンビニやマックの店員になることが夢なんて、ありえないし、淋しすぎるだろう。社会というものに触れる機会を持つというのが教育の目的なのだろうが、別のやり方を探した方がいいのではないだろうか?

葉陰

2009年05月27日 | 近景から遠景へ

 風が強い日、林の中に佇んで空を見る。
 枝が揺れ、葉が踊り、その向こうに真っ白な空がちらちらと見える。
 その白く切り抜かれた空が、不意に何かに見える。
 一瞬ののち、その何かは姿を消す。

 次の瞬間、その空は何を映し出すだろう。
 風や樹や葉のデータを入力したら、分かるのだろうか。
 とっても厳密に計算したら。
 でも、そんなの絶対分かりゃしないないだろうなあ、と思う。

 風は草の匂いがする。
 遠くの雨の匂いがする。

奥多摩

2009年05月12日 | 近景から遠景へ

 先日の日曜日、森林と渓流を見たくて、奥多摩へ。
 新緑が始まったころからずっと行こうと思いつつ、延び延びになっていた。
 多摩川の川岸に降りたときから、すっと目の奥が癒されるような感じがした。目の疲れが、一気に引いてゆく感じ。自分でも驚くほど。

 山道で、やたらと大きな蟻を見た。お腹の上部が赤くて、二センチ近くある。初めて見る蟻。家に帰って調べたら、どうやらムネアカオオアリの女王らしい。へえ、女王蟻なんて初めて見たよ、とちょっと嬉しかった。踏み潰すのを止めてよかった。

この宇宙のこと

2009年02月06日 | 近景から遠景へ

 この宇宙って、何なんだろうと思う。
 時空って、何なんだろうと。
 余りにも大きすぎて、考え始めると、途方に暮れてしまう。
 小学校の高学年の頃、今でもはっきりと覚えているのだが、ある夜に、自分のいる場所の外には街があって、海があって、日本があって、世界があって、宇宙があって……と考え始めて、いったい自分という存在がどんな場所に立脚しているのか分からなくなり、すごく怖くなったことがある。それからしばらくは、本当にそんなことばかり考えていた。そして、考えれば考えるほど訳がわからなくなって、途方に暮れた。
 今でもそうだ。もちろんその頃に比べれば色色と分かっているし、世界というものの実質を、ちゃんとしたイメージで捉えることは不可能なのだということも、理解している。それでもやっぱり、わからないものはわからない。悔しい。
 考えてみれば、そういう気持ちが自分の想像力の扉になっている気がする。僕がSF小説が好きなのも、それがそうした想像力への扉として機能する文学形式だからだ。世界は、ある程度まではキチンとした原理で出来ている。だが、それを超えた無秩序が確実に存在している。それは神秘主義でもオカルトでもない、「不確定性を孕む」という名の無秩序だ。
 世界を想像する。しようとする。でもちょっと大きすぎるな。別に世界じゃなくても、新宿の片隅でもいい、じっと立って、自分の周りの世界がどのように動き、互いに影響を与え合っているのかを考える。あらゆる人が、あらゆる偶然が、それどころか、様々な微生物やウィルスまで、常に複雑に絡み合って、様々な現象を作り出す。たったこれだけの小さな場所でさえ、想像などとても及ばないのだから、宇宙の秩序など、あるいは無秩序など、分かるはずもない。いや、そうではないのか。この場所にある混沌が、そのまま宇宙の混沌と同質なのか。量子論云々。そう思ったとたん、自分が宇宙の只中にいることに気がつく。
 いい年になって、子供までいるというのに、そして大抵は現実的な心配事に心を砕いているというのに、それでもやっぱり宇宙のことを考えると、打ちのめされる。そして、決して自分がその本質について知ることはないのだろうと思うと、悔しくなる。虚空を掴みたくなる。
 そして、想像力の源となる。
 ビールを飲みながらの、たわごとともなる。
 現に今、なっている。

小江戸

2009年02月01日 | 近景から遠景へ

 ふと思い立って、川越へ出かけた。
 小江戸川越である。近いわりに、まだ行ったことがなかった。それで、思い立ったが吉日だと、風の強い中、出かけてみた。
 今回散歩したのは、蔵造りの町並みが残る、代表的な観光ゾーン。自動車がやたら多く、(景観という点でも、町の保存という意味でも)ちょっと気になるけれど、その一角は電柱が一本もないため、空が広く感じる。
 その一角以外でも、町はいい感じに古い場所が多く、比較的近いわりに、とても遠くまで来た気分になれる。町には、やはりというか、古い着物とか雑貨とかのアンティークショップがとても多い。
 立ち寄った店で、スピッツの「インディゴ地平線」の初回版が400円で売っているのを娘が見つけたので、買ってあげると、ホクホクしていた。この前の埼玉スーパーアリーナのコンサート以来、さらにスピッツ熱が増しているようだ。

多摩川へ

2008年08月31日 | 近景から遠景へ
 
 子供たちにとっては、夏休み最後の日。
 自転車で、多摩川へ。
 朝こそ空が怪しかったが、だんだんと暑くなり、こんなによい天気になるなら海に行くべきだったね、と話をしながら。
 雲の様子がダイナミック。
 空気も澄んでいたのか、とても空が高く見える。
 川の水は増水していたが、大潮の影響もあるのか、ゆったりと流れていた。

 途中、調布の駅前で「調布よさこい」というイベントが開かれていたので、ちょっと見る。フラダンスあり、ソーラン節あり、という、不思議なよさこい祭り。ずっと見ていたら、もしかしたらサンバも見れたかもしれない。