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漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

東京ジャーミイ

2011年04月26日 | 近景から遠景へ

 先日、代々木上原にある本格的なモスク「東京ジャーミイ」に行った。ずっと翻訳をしている「紫の雲」では、トルコのイスラム建築がやたらと出てくるのだが、なんだかよくわからなくて、本を見たりしていたところ、その複雑さに興味が出てきた。以前に前を通ったこともあるこの「東京ジャーミイ」が、トルコ文化センターを兼ねていて、見学ができると聞いたので、行ってきたのだ。
 東京ジャーミイの一階は、トルコ文化センターで、土産物などを購入することができる。礼拝堂は二階にあって、内部の撮影は事前の許可が必要。女性は頭にスカーフなどを巻いて、髪を隠す必要があるが、入り口のところに見学者用に何枚か置いてくれてある。
 中に入ると、まず息を飲む。本当に美しい。あらゆるところに幾何学的文様があしらわれ、その色彩の調和も相まって、計算されつくされた、完成された美を感じることができる。いつまででもいたくなる、落ち着いた空間になっている。ここでこれほどのものなのだから、有名なスルタン・アメフト・ジャーミイなどはどれほどなのだろうと思う。
 東京ジャーミイについては、詳しいサイトもある。機会があれば、一度モスク内を見学させていただくと、興味深いのではないかと思う。
 帰り際、話しかけてくれたイスラム教徒の方(どこの出身なのかは分からない)が、今回の地震の話をしながら、「でも、モスクだけは壊れなかった」と誇らしげに言っていたのは印象的だった。本当かどうかは知らないが、そう言うのだから、きっとそうなのだろう。ぼくは全く宗教は信じないが、彼にとってはそれはアラーの正しさを意味することであり、誇らしいことなのだろうと思う。それはそれでいいが、被災地には、これから先どんどんと怪しげな新興宗教も入ってくるだろう。気をつけて欲しいと思う。

地震

2011年03月12日 | 近景から遠景へ

 昨日の地震の時間には、職場にいたのだが、比較的ゆっくりと時間をかけて、揺れが高まっていったという印象だった。表に出ると、辺りの人々もみんな出てきていて、空を見上げていた。さまざまなものが揺れているのを目の当たりにした。このままみんな崩壊してゆくのではないかという危惧が頭の中を走った。まるで船に酔ったかのような感覚だった。
 すぐに家族に電話をかけるが、当然のように通じない。いろいろなことが頭の中をかけめぐる。会社の固定電話から、なんとか家に連絡がつき、一応安心する。
 仕事が終わった後、高田馬場から家に向かって歩いた。携帯でラジオを聴きながら、いつ電車が復旧してもわかるようにと。街の中には、歩く人々が溢れていた。これほどたくさんの人々が街中を歩いている姿を見るのは初めてだった。人の流れは、どれだけ歩いても途切れている場所がない。スーパーなどは、早々と店を閉めている。防犯上の理由なのだろう。だが、人々の様子は、東北のようには差し迫った印象がない。ただ切れ目のない流れとして存在していた。
 中野では、目の前をドブネズミが横切るのを目にした。一瞬驚くが、それ一匹きりだ。阿佐ヶ谷で一休みをして、そのまま荻窪へ。そしてそこからバスに乗る。だがそれは失敗だった。以外に流れていると思った道路は、その先は渋滞していて、不必要な時間を浪費した。結局、家までは四時間半ほどかかった。最短距離で、まっすぐ歩けば、三時間ほどでついたのだろう。
 今年のはじめに、ホジスンの作品とされたことのある「エンプレス・オブ・オーストラリア」の翻訳をしながら、関東大震災のことをちょっと調べたりしていた。だからだろうか、テレビなどをみていても、妙なリアリティを感じる。今の職場に入った年に、阪神淡路大震災があって、ラジオにかじりついてた。それから十六年、節目かと思われる年に、また同じようにラジオに耳を傾けている。
 様々なことを思うが、進行の途中である今の状態では、言葉で表現することはまだ難しい。被害がこれ以上広がらないようようにという気持ちがあるだけ。本当にそれだけしかない。

ヒリゾ浜

2010年08月08日 | 近景から遠景へ
 少し早い夏休みをとって、金曜から土曜にかけ、一泊で伊豆に出かけた。
 目的は、最近人気の、南伊豆の中木にある、ヒリゾ浜でのシュノーケリング。ヒリゾ浜は、陸路では行けない(らしい)ため、漁港から渡し船で渡してもらわなければならない。透明度の高さと、その秘境めいた雰囲気から、シュノーケリングを趣味にしている人々にとても人気が高いと聞いていた。 
 朝から車で雲見へ。そこで一泊して、翌朝中木の漁港に向かった。
 ところが、ちょっと宿をでるのが遅れたため、中木には朝の九時半過ぎに到着したのだが、すでに駐車場には入れないという状態。待っている車が列になっている。最近この浜はとても人気が高く、朝の九時にはもう駐車場はいっぱいになってしまうとか。浜も、とても狭いため、入浜制限も行われることがあるらしい。昼ごろになれば少し空くだろうから、顔を覚えておくんで、それまで近くの浜で遊んだ方がいいですよと交通整理のお兄さんに言われ、近くの入間海岸へ。ただ、ここはあまり良い場所ではなかった。
 昼前に改めて中木に向かった。今度は、少し待って、駐車場に入ることができた。



 船は、ほぼピストン輸送という状態。浜は、海から見ると確かにどこかの島のような雰囲気で、わくわくする。だが浜は、荷物を広げる場所にも困るほど、人でいっぱいだった。人に酔ってしまいそうだ。ともかく場所を確保して、水に入る。

 

 さすがに「伊豆随一の透明度」と唱うだけあって、魚の数も多いし、透明度も、これだけ人が入っているのを考えれば、驚くほどの高さ。来る人のマナーも、いいのだろう。潮の流れが速くなる所には、ブイがはってあって、漁船が見張りをしている。そういう意味で、子供でも充分に楽しめる。



 写真はイカだけど、たくさんいるイカの中で、この一匹はチカチカと発光していて、綺麗だった。コウイカなのかな?写真をたくさん撮ろうと思っていたのに、気がつくと普通に遊んでいて、あんまり撮っていなかった。僕はカメラマンには向かないようだ。

静かな夜

2010年07月29日 | 近景から遠景へ

 このところずっと暑かったが、今日は雨のせいか涼しい。部屋の窓を開ていると、少し強めの風が吹きこんでくる。だが、妙に静かだ。家の前の道路が、水道工事のために通行止めになっているせいだろう。こんなに静かな夜は久々のような気がする。そしてこの涼しさは、まるで秋が近くなってきているかのようだ。
 このところ、なんだかよくわからないが、頭の中がとっ散らかっている感じがする。それに、どうしても本が読めない。最初の数十ページほどでやめてしまう本ばかりが多くなる。定期的にそんなことがあるので、まあそんな時なのだろう。今読みかけているのは、P.J.ファーマーの「The gods of the Riverworld」。リバーワールドシリーズの完結編なのに、なぜかこれだけ未訳という一冊。アマゾンなどのレビューでは、「これはなかったほうがよかった」という意見が大半だったが、冒頭の数十ページを読んだだけでも、まあそうかもしれないという気がする。だけど、前作「魔法の迷宮」の最後の部分も、僕にしてみれば余計だったから、まあ別にいまさら。ただ、相当長いし、英語だし、読み通せるだろうか。

猫屋敷

2010年07月04日 | 近景から遠景へ

 ふと、アルジャーノン・ブラックウッドのデビュー短編集の表題作「空家」を訳してみようと思いたち、全体の三分の一ほどを、会話文を関西弁(というか神戸弁)で訳しかけたものの、さっきネット念のため調べてみたら、既に翻訳がエドワード・ゴーリーの「憑かれた鏡 エドワード・ゴーリーが愛する12の怪談」の中に収録されているということを知り、放り投げた。なにやってるんだろうなあ。「空家」は、ブラックウッドのプロフィールには必ず出てくるのに、なぜか未訳のままだったなあと思っていたので、訳してみようかと思ったのだけれど。もうあるんじゃしょうがない。ゴーリーの絵までついているみたいだし。神戸弁で訳そうと思ったのは、別に深い意味はなくて、ふとそんな気分になっただけでした。

 写真は、とある路地。この猫たちは、実は猫屋敷(確認しただけで、十匹以上の、結構器量のよい猫がいました)の隣の路地にいるのです。ブラックウッドつながりで言えば、「」ジョン・サイレンス」ものの短編「いにしえの魔術」をふと思い出しますね。

野川公園

2010年05月04日 | 近景から遠景へ

今日は野川公園へ。
最近、たまに自転車でこの公園に行く。
東八道路に分断された公園にも関わらず、とてもそうは思えないくらい、緑が守られていて、ゆっくりと過ごすのにいい。ホタルの季節には、ホタルをみることも出来る。近くにはICUのキャンパスや、三鷹の国立天文台などもある。深大寺までも遠くない。
ここの川は、全く手が入っていないわけではないが、いわゆる小川の形を留めた状態で、メダカやザリガニ、ドジョウなどがいる。子どもたちは喜んで網を持って追いかけている。もっとも、数が少ないので、あまり見つからないようだけれども。

鋸山

2010年05月03日 | 近景から遠景へ


昨日は、鋸山へ出かけた。
せっかくの連休なので、普段余り行かない場所へ行こうと思った。
それで、以前からちょっとその景観が気になっていた鋸山へ行くことにした。

久里浜からフェリーで金谷港へ。片道35分ほど。そこから歩いて鋸山を目指した。
鋸山の山頂付近にある日本寺まではケーブルカーがあるが、もちろんハイキングで山頂を目指す。山頂へのハイキングコースは、途中で「関東ふれあいの道」と「車力道」に分かれる。比較的登りやすいということで、「車力道」を選択した。
とはいえ、相当急な山道。容赦ない斜面という感じ。かつては、この道を女性の運搬人が、台車に沢山の石をのせて一日に三往復もしていたのだというから、気が遠くなりそうだ。ただ登っているだけでも、相当の体力が必要だというのに。しかも足場がいいとはとても言えない。さらに、途中からは怒涛のように切り立った階段が続く。手すりがあるが、なければとても登れそうにないほどの、足場の悪い、急な階段だ。



途中で数カ所、石切場が間近に見られる場所があって、圧倒される。どうやってこんなのを削ったんだろうと素直に思う。今では植物などに侵食されていて、アンコールワットとか、マチュピチュとか、行ったことはないけれど、まあそういう感じの様相を見せつつある場所もある。



一番の観光ポイントは、地獄のぞきと呼ばれる、日本寺内にある崖の上にせりでた石の上である。下から見上げると、すごい場所だなあと思う。実際に行ってみると、そのあたり一帯からの景色はどれもおなじくらいの絶景なので、それほどの実感もわかないが、ゴールデンウィークということで、かなり長い列が出来ていたが、列に並んで、記念の写真を撮影した。ここには載せないが、上から下を見下ろすと、やはり足がすくむ。



きりたった岩の上からの光景は、まるでこの前に見た「アバター」のようでもあった。房総は低山が多いので、見晴らしは本当にいい。途中に「地球が丸く見える展望台」というポイントもあるが、そんな感じ。
帰りは関東ふれあいの道を下りてきたが、この道はかなり酷い道で、上りに選ばなくてよかったかもしれない。
下山後は、港の側で買い物をして、また船に乗って帰った。ちょうど日没の時間だった。
海上では、パナマ船籍のタンカーがすぐ前を横切って、波をかぶったり、近くをバハマ船籍の豪華客船が通り過ぎていったりした。



玉川大師

2010年03月16日 | 近景から遠景へ

 ちょっと前のことだが、二子玉川にある「玉川大師」に行った。
 ここは、地下霊場で有名な場所である。この地下霊場に参れば、四国の八十八ヶ所霊場巡りをしたのと同じことになるのだという。全長でも百メートルほどだというから、手軽である。
 寺の中は、ものすごくゴタゴタといろいろなものがある。霊場には、その本堂の隅から降りて行く。百円のお布施を払い、はじめてだと説明を聞いて、それから降りて行く。とても狭くて、漆黒の闇。右手で壁を触りながら進む。本当に何も見えない。やがて、うっすらと灯りが見えて、ずらりと並ぶ石像が現れる。ほとんど肝試しのようだ。ちなみに、撮影は禁止。別に監視もされていないけれど、フラッシュなんて焚いたら、興ざめだろう。

 最近は、「パワースポット」という言葉をよく耳にする。昔からある言葉だが、このところ、耳にする頻度が高い。「自然のダイナミズム」と「イワシの頭も信心から」のせめぎあい。そんな印象がある言葉だ。あるいは、この「玉川大師」の地下霊場も、そんな場所なのかもしれない。ただ、正直に言うと、ちょっとここは「B級スポット」に近い気がする。ありがたい場所なんだろうけれど、なんとなく、寂れた田舎のテーマパークのような。

 ところで、こうした「四国八十八箇所」を模した場所は、あちらこちらにある。僕が印象的だったのは、京都の仁和寺の裏に広がる成就山。一年ほど、近くに住んでいたので、お弁当を持って、時々出かけた。全部を回ると二時間以上かかるが、もちろんそんなことはしない。途中で脇道にそれて、見晴らしのよい山腹で、京都の町を見ながらごろごろしていた。なかなか気持ちのよい場所だったのを憶えている。

レインボーブリッジ

2010年03月14日 | 近景から遠景へ


 ふと思い立って、レインボーブリッジを歩いて渡った。
 久々の休日の好天だったので、少し長い散歩をしてみたくなったからだ。
 本当は、三浦半島に行こうかとも思ったが、今日は一人だったので、どうせ誰もついて来てくれそうにない(笑)、レインボーブリッジを渡るというコースを選んだ。
 神戸にいた高校生の頃、神戸大橋を歩いて渡ったことがあったが、こちらはあれよりもずっと高い場所にあるので、どんなものだろうという興味があった。
 浜松町から竹芝桟橋、日の出桟橋を眺めながら、ずっと歩いて(浜松町は最寄駅ではない)、橋桁に到着。そこからエレベーターで七階まで上る。遊歩道は、そこから始まる。自転車は禁止。外国人のカップルが、ちょうどジョギングをしてきたらしく、エレベーターから飛び出してきて、驚く。こんなところをジョギングコースにしているんだな、と思った。というのは



 基本的にこんな場所をずっと歩いて行くことになるので、空気が悪いし、騒音も酷いという想像をしていたからだ。神戸大橋を渡ったときも、記憶がやや曖昧になっているが、そんな印象があったと思う。けれども、いざ歩いてみると、休日だったせいか車も少なめだったし、南風のおかげで、排気ガスもあまり気にならなかった。但し、今日は好条件だったから良かったのかもしれない。きっと平日にトラックとかがバンバン通っていると、嫌だろうなと思う。



 二箇所ほど、こうした見晴らしのよい場所がある。遊歩道は、ノースとサウスのコースに分かれていて、行き来はできない。今日はサウスコースを歩いた。お台場と、東京湾を一望できる。天気がよいので、見晴らし場では、とても気持ちがいい。誰も歩いていないかと思ったら、意外に人が歩いている。
 だいたい三十分ほどもあれば、十分に楽しみながら渡りきれるだろう。今日のお台場は、人が多かった。僕はお台場では一番のお気に入りの場所にまで歩いて行き、人の少ないその場所でビールを飲みながら一時間ほどゆっくりとして、それから帰った。

言語

2009年12月18日 | 近景から遠景へ

 最近ちまちまと翻訳の真似事をやったりしていて、よく思うのは、国の違う人同士の間に横たわる垣根は、国境ではなく、単純に言語なんだろうなということ。別の言い方をすれば、思考というものは言語によって抽象化することで、より深く考えることができるようになるわけだから、思考は言語に引っ張られているのだということ。つまり、日本人らしさというのは、もしかしたら日本語を言語として持っている人らしさという意味なのかもしれないということだ。こういうことは、何かに書いていた気もするし、今更言うほどのこともない、当たり前のことなのだろうが、よく実感する。言葉には、その言葉を話す人びとの生活背景や思想が刻まれている。外国人を理解するためには、まず言語を理解することが大切なのだろうと思う。日本でいると、日本語の美しさという言い方をよく聞くが、それは日本人に生まれたからであって、日本語を解さない人にとっては意味がない。違った言葉同士でその美しさを比較するのは意味がない。語彙だって、実は英語の方がはるかに多いのだし(オックスフォード英語辞典は全23巻、61万5千語。日本国語大辞典は全二十巻、45万項目)。ただ、言語に付随する曖昧さの度合いという点を考えると、日本語には日本語としての独自のものがあるのだろうが、そういう比較しかできない。
 昔からたまに、「戦争で外国は日本のことを学んでいたが、日本人は外国語を完全排除した。だから戦争に負けたんだ」というようなことを耳にしたが、これは逆で、もし日本人が向こうから歩いてきたアメリカ兵の言葉が理解できたら、もっと相手を人間だとして認識しただろう。だから、あれだけ泥沼になるまで戦わせることができたのは、国による、外国語の完全排除という政策が功を奏したせいだろうと僕は思う。人間というものは、相手が何を考えているのか分からないと、とても不安になるからだ。外国人が流暢な日本語で話し始めると、途端に距離が縮まったような気分になるのは、その証拠だろう。

 と、こんなことをブツブツと書いているのは、英語(外国語)はやっぱり難しいなあと、溜息をついているからです(笑)。

連休

2009年09月21日 | 近景から遠景へ

 昨日は朝から海の方へ向かった。
 最初は伊豆の方面へ行くつもりだったのだが、家を出るのがやや遅れた上に、車で出かけてしまったものだから、思ったとおりというかなんというか、渋滞に巻き込まれ、根府川でダウン。まあ、台風の影響で海には入れないかもしれないとは思っていたから、仕方がないと諦めはついた。今年は本当に海に入らない年。でも、この辺りの海にはさんざん入ってきたから、大体分かっているし、こんな年があってもいいのかな。

 ところで、先日は弥生美術館に初めて出かけ、「昭和少年SF大図鑑展」というのを見てきた。内容的にはかなり力が入っていたのだが、正直に言うと、原画の少なさはやや残念。博物館の展示としてなら充分なのだろうが、美術館の展示なので、基本は原画の展示にして欲しいというのが本音。複製を額に入れられても……という感じは否めない。時代的に言って、原画はかなり散逸してしまっているのかもしれないけれども、展示されていた原画がどれも良かっただけに、もっと色々と見たかった。雑誌に掲載されたものよりも、原画は繊細で、細部にまで気が配られていて、色も美しかった。これを見てしまうと、三階に展示されていた常設の高畠華宵はとてもつまらない絵に見えてしまう。高畠華宵も複製が多かったし、僕の中で、かなり華宵の株は下がってしまった。複製を展示するくらいなら、名前がさほどメジャーではない人であっても、ちゃんとした原画を展示して欲しい気がする。複製なら、本で見てもいいのだから。