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つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

愛情が救いのキーポイント

2017-01-03 | Weblog
まことに世の中は、荒廃していくばかりである。
偽善が多く、世相は真実とは裏腹に錯誤して映る。
戸惑いは、あたかも虚栄して、苦しみもがくさまを表して、
絶体絶命にあるも、感じ受けるものはごく少数である。
よく服従することを調整されてきたために、
その呪縛から逃れられていない多くの民は、
錯誤したままにある。ずる賢いものはより太り、
真面目なものはやせ細る。
かたやほくそ笑むものがいて、かたや涙ぐむものがいる。
何事にも犠牲はつきものとして納得していくが、
我が身に置き換えればいたたまれないものである。
そんなことも気が付きもせず、仕方なしとするのは、
絆を知らないものである。地上のすべては運命共同体である。
対岸の火事と思うものに火事はやってきて、そして、
悉く焼き尽くす。
まことにまことに世の中は、崩れ去るものにある。

新年に浮かれ喜ぶ中でも、ひっそりと消える命があることに、
思いを馳せることである。
常に身近にあることである。
誰しもが向かうことであるために。


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知的生命の佇まい

2017-01-02 | Weblog
神社仏閣の佇まいは、彼らの星の佇まいである。
侘び寂びにあるのは、高度な技術に裏打ちされた佇まいである。
その星の文明の粋を尽くされた景色である。
科学は神の域にあり、物理を悉くととのえてある。
しかしながら、光の彩を侘び寂びの中に埋め込んでいるために、
質素にして原始的に装っている。おそらく、
意のままに鉱物を動かすものである。
鉱物に精通しているのは、精を敬ってあるための扱いである。
精はエネルギーである。根源である。
根源の熟知にある為の技にして適うコントロールである。
彼らはこの宇宙にしての相対性にあり、二面を持ち合わせているが、
常に、交互にせめぎ合っている。
その正義が言うには、
「幸福と不幸はどちらも求めずして善に沿う」と。
エネルギーは、善悪の無い動きである。そのために、
エネルギーは絶対善の動きとなっている。
ただ単に廻る動きである。
自由によるエネルギーである。
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それぞれの個性の活用

2017-01-01 | Weblog
本物という仕事師は、商業主義に無く、
巧みに全うすることを満足とする。
金銭価値など求めない。
自分にできるか否かの挑戦にあり、
技術の難題に心が注がれる。
難題に取り組み、解ければそれだけで満足なのである。
技術というのは、何も行動における技の仕種だけではない。
段取りが要となる。如何に取り組み適時な技をこなせるかに集中する。
ただそれだけで命は生きていけるのである。

知的に優れた生命は、それぞれの個性の技術のやり取りで生活している。
互いの不足の補いがなされているだけである。
付随するものは何もない。だから、技術進化が著しくある。
共存共栄は献の一文字にあることを知っている。

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