つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

知らない為に何度も・・・

2005-09-15 | Weblog
はやいもので、今年ももう9月もなかば。日はただただめぐるのである。この回る円の動きが、なくなることのない動きであるため、永遠にめぐってくる。この円の動きがあるために、時間と空間がある。回る動きの変化が時間と空間をつくっているのである。だから円の動きのないところには、時間も空間もない。すべてエネルギーの動きの存在である。この宇宙も地球も、微細な原子の世界も。
円の動のないところには、変化が無い為、時間も空間も存在しない。
あの世にも時間も空間もない。生命のエネルギー世界であるため無くなることのない世界で、変化がないためである。人の一生の記憶の現象された世界であるため、円の動きがなく、変化が無い為時間と空間がなく、原因と結果がごちゃごちゃに存在していて、瞬時にさまざまな場面が現れる世界となっている。夢の世界と同じである。再び転生してくるまで、どんなに長くとどまっていても飽きることは無い。

人が生まれて、すぐに死んでしまったり、幼いうちに死んでしまうと、生命の世界が完成されてないために、またすぐに転生してくる。
人の一生は、毎日の繰り返しの経験が絶対となり、記憶となって死後の世界の現象となっていくために、死後の世界を作る為の目的となって一生となっている。
死後の世界を楽しい明るい希望の持てる世界としていく為に、肉体を持って生命が生まれてくる。
回る円の動きは浄化の動きである。そのため、人の動きも浄化の動きとなっている。人の一生が浄化されて、生命のエネルギー世界であるあの世を、悪の現象されない楽しく明るい世界とすることができるまで、何度も転生してくる。
転生してくる世界は、「一切皆苦」である。肉体を持って生きていたときの業によって、転生の世界が決まる。縁である。その「一切皆苦」の世界の中で、正しい浄化としていかなければ、永遠と肉体をもった苦しみの世界を行き来する。そのために、無明をなくしなさいと仏は説いたのである。死後の世界の実体があることを悟りなさいと教えたのであるが・・・・つづきはまた



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