つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

心の自由な判断で・・・

2005-09-24 | Weblog
人は誰も自分が大事である。それが分かるのであれば、人をきずつけることはできない。  人はこの簡単なことが分からなかった。その証明として、戦争の歴史が作られてきた。   ‘知らなかった’のである。
生きているときに、悪いことをしないように、気をつけて生きていくのが、修行していることになる。 誰のためでもない、自分の為なのである。
修行である為に、人生は苦しいものとなっている。その苦しいものと思うのは心の自由である、自分の自由である、生命の自由である。
苦しいと思う心の自由が、苦しみを絶対苦しみとしてしまい、苦しむ為の人生となってしまって、苦しみより解放されなくなってしまう。
良いことをしていくことが、なぜ苦しみとなることだろうか?
良いことを思い、良いことを語り、良いことをしていくことを修行と思わず、あたりまえとして、自分のためであるとしていくことを、心の自由な判断として、
その縁で死後、良いところに赴くことは自分のためではないか。
その自分のためがどうして苦しみと思う必要があるだろうか。
苦しみと思うこと自体が、知っているつもりでも本当はまだ知り得ていないことなのである。悪が意識されているためである。
つらいと思うことなく、楽しいことだとあたりまえに思えたら、苦しみより解放されて、極楽の世界となっていくのである。
つらいと思う日々を、心の自由な判断で変えていくことである。 つづきはまた
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