つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

金の副作用

2014-01-03 | Weblog
お金持ち。その金の力で
おいしいものを食べ、煌びやかな衣装を纏い、大きな邸宅に住む。
自分が作るということはなくみんな人任せ。そして、
できたものを批評をして、一流というものを語る、誇る。お金持ちという者の楽。
自分では何一つできない。
美味しいものを食べていながら、それがどのようにして作るのか全く分からない。
作らせればうまさに程遠い味。舌で味わっていながらその味が出せない。
もちろん、他も同じで、糸一本織ることもできなく、柱一つ立てることすらできないものである。
お金というものは楽を買うことができるものであるが、中身の無いものである。
お金に群がる人の浅ましさ、経済的社会の浅ましさ。金の信用、殺伐である。

お金が無ければ、労して自分であれこれ作らねばならない。
すると、これはこうで、あれはあーやってと知恵がついて覚え、いろいろ作れるようになる。
その労力は苦であるが金が要らない。
智恵は、使えない形であるものから使えるものを生み出して、それこそ
無から有を生んだとするが、何もないとするのは自由であり無ではない。自由という有である。
自然は自由というかたちで有しているもので、人が使える使えていないというものである。
人は、その自由から使えるものとして生み出し、いろいろを成した。
金もその一つだが、頭の知識で作ったものであり、手で作ったものではなかった為に、
悪智恵となって格差を生んだ。
その悪智恵の為に、金によって殺されてしまう人と、生かされる人との別を生み出した。
もし手で作っていれば、悪智恵とはならず、
金を貪ることも無く殺し合うことも無かっただろう。
人の為になるものばかり作られていたはずだ。手間と暇が掛けられて心が込められていくからで、
すると、あらゆるものの精が目覚めて所為があらわれてくる。
良いものが出来上がるものである。

もし、お金というものが通じなくなれば、つまり、いくらあっても意味をなさないものとなり、
それこそ、目の前にある‘もの’が役立つものとなるなら、金持ちというものほど堕落したものとなってしまう。
自分では何も作れないから。自分の力ではない仲介の力によれば、いつも頼りないものである。

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