この世は「受」の世界である。
円運動であるエネルギーの法則の変化を受けて、その刺激に対応、
応対した現象となっている。だから、「受想行識」の世界となっている。
「想」は想念、「行」は行為、「識」は知識である。
この想行識を法則によって統一し、知識を智恵として判断していくことに由って
法則の判断となり、誤りのない判断となっていく。その判断は瞬時である。
円運動の法則は浄化の法則となっているために、常にゼロとなり、綺麗になる。
故に、人の行為もすべて浄化のための行為となっている。そのために、
「行って来ます」と言って出かけては帰ってくる。知らず知らずのうちに円運動となっているのである。だから、時計も零時から始まり零時に終わる。すべて円運動エネルギー、終わりのない法則となっている。
誤った浄化の行為とならないように、人生は努力となっている。
この世で作られた記憶のエネルギーが、あの世の現象となっている。
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