つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

共に生きている

2011-09-05 | Weblog
自然災害は以前にも増して多くなり、その被害は甚大なものとなっていく。
生物はこの地球上で共存という形で保たれている。
持ちつ持たれつで生き生かされているために、
そのことに感謝をして、足る事を知り、他の営みを我が身と同じと知り、犯すことの無いように、
質素に暮らしていけば秩序は保たれ、周期的変化にも正しく対応されていくものである。

エネルギーはその質、浄化となっているものである為に、本能としてゼロをめざす。
思考と言う能力の足りないものは、ただ生きていくための本能で動いている。
そのために獰猛で、種の違いを餌と見て襲う。食が満たされれば、そこに餌となるものがあっても
襲われない限り襲うことは無い。闘うことはない。未来をみたり(場当たり)、また、感情というものを極力持たないでいるために、
憎しみなどの悪意は無く、そのために、どんなに残酷に見えても、地獄というものを持つことが無い。
低俗であるたに、低俗な世界を輪廻していくだけであるが、そもそも、地獄という感覚は無い。
非情であることが当たりまえとしている世界である。
低俗で無知であれば、傍若無人に振舞う為に、他の営みを犯してしまい、つまるところ自然淘汰と相成る。
災いはそういうものに現れる。無作為に現れているように見えて、害となるものに起こる。
そのときの運命共同体となっている。地球という法則に合わないものが増えだすと、
一旦リセットされてしまう。それはまた、新たな旅立ち(改新)の機会を得たことでもあるのだが・・・。

水が大半の地球である。
そこに大地は広がるが、へばりつくように心許無く見える。
過去の優れた文明も海底に沈んでいるように、
現代文明も、輝かしい科学をそのままに、水に埋もれてしまう羽目となるのか?
その証は、そう遠くなく、この世紀のうちにと気は兆す。
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