つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

広大智慧観

2011-03-03 | Weblog
経験によって学んだ識は智慧となり、忘れることが無い。
この智慧の判断は、客観の判断であるために、誤りの無い判断となる。
智慧が備われば知識は必要ではない。
誰を師と仰ぐこともいらず、教えを請うことを必要としなくなる。
自然が師であり、その道理をよく心得ていけば、
不思議といわれることも不思議ではなくなる。

自然は浄化された姿であるために美しい。
自然に適う生き方をしていけば、美しい心、美しい姿でいられる。
毎日毎日、来る日も来る日も優しい気持ちで、感謝しながら、倹しくあって慎ましくあって、
道徳を修めて生活としていくなら、病も災いも避けられていく。
短命も長命も思いが通じて、ままを得る。思議のいらないものとなっていく。
智慧を備えるということはそういうことである。
「貧しきものよ、汝は幸いである」「悲しきものよ、汝は幸いである」・・こう云われるのは、子供のように
自然に学べる者であるために、素直に智慧が備わっていくためである。
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