老巧=経験が豊富であらゆる点に配慮が行き届いていること。
稚拙=経験が少なく未完成な点が目に付くこと。
大人でも子供(少年)のような純粋さを持つ人がいる。
想念は経験の(記憶)によって統一された生命エネルギー(魂)の波動、
それが心の判断となっている。意識である。
子供のような純粋な気持(意識)で生命エネルギーを見つめ思うなら、
魂に死がないことを悟るだろう。もし、経験が誤っていたなら、想念も誤り心の判断も誤る。
その誤りが生命の誤りとなって、死んだら何もかもおしまいとしてしまう。
して、好き勝手に生きてしまう。その顛末は地獄行きである。
老巧という点に気づき、年相応にして近づく死(寿命)を迎えることである。
肉体は必ず亡くなるのだから。それを必然という。
肉体はなくなっても、あの世は記憶の現象世界であるとしてつながっていることを覚りなさい。
魂(生命エネルギー)はなくならないのである。つまり、生きている。
存在がエネルギーの法則となっているからである。
エネルギーの法則は円運動の自由となっているために、無くなることのない法則となっているためである。
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