つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

御蔭が動く

2012-06-07 | Weblog
太陽が語りかける。
そこにいれば危ないよと。
長い長い人の歴史に、ひとまず終止符が打たれるとして語りかける。

地球に棲むものたちのなかで、高度に発達した者たちは、最小の影響とするために、
あれこれ技術をめぐらす。その中で、最も多く存在する微小動物(バクテリア)は、
単純にして、また未知であり高度な生命を持ち、感をもち、勘が働き、観じる。
最大限能力を発揮して、不思議を楯ににして守りを固める。その守りは強力であり、
被害を最小にとどめられる。起こるべきして起こるであろう変革に対応するために、
あれこれ激しく動き回っている。
時がすぎて、ひとつの事件として振り返ることができれば、
高度なものたちの御蔭様である。
ただ、悪しき者達、邪悪はことごとく消し去られてしまう。浄化されてしまうのである。

宇宙はバランスで存在しているのではなく、単独での存在となっている。
巨大な巨大な星がなくなっても、その周辺のバランスが崩れて破壊してしまうことは無い。
バランスで成り立っているものではない。
微細なもので作られ、広大になっている。持ちつ持たれつとして。

是が浄化の法となっているために、邪悪なエネルギーが満たされてくれば、
是との摩擦となって歪みが生じ、あれこれ異常が現れてくる。そして、はじかれてしまう。
取り除かれるのである。
宇宙というのは自然である。自然は人が何もしなくても美しいものだ。
それは、是が浄化の動きとなっているためである。夜空はきらめき、
地球も景色はとてもきれいである。自然と浄化されてしまうために、
あらゆるものが整然となっていくのである。
短い肉体の存在の目では、常に混沌となっていくように見えるものであるが、
魂のまなこで見れば、汚れたものは無くなっていくのである。
ひとつとして汚れたものは無い。
自然というのは美しい。
人もまた、自然に作られたものであるために、
本来、美しいものなのである。
あらゆるものが止まることなく動いているのは、
未完のためである。
動くことによって完成に向かい、正しく動くことによって完成されたものは、動く必要が無くなっていく。
そこには時間も空間も無い。
完全浄化の姿である。

生命が輪廻するのも、浄化されてしまえば輪廻することは無くなる。
人が生きていく、動くということ、その行為はすべて浄化のためである。
生きるということは、生命の完成、浄化のためである。
正しい浄化の動きとなっていなければ、何度も苦しみの世に生まれ変わって已まない。
是によって作られたものであるために。

人の歴史は、宇宙から見ればほんのわずかである。五分ほどのものである。
その短い間にも、人の邪悪が満ちてきて、そのエネルギーによって起こるべき事件が起こされてくる。
是、法は非情である。善悪など無いゆえに善である。慈悲の慈もある。
邪な心を排して、どうか自然の悲を受けないように・・。
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