つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

かの世の識

2007-07-11 | Weblog
私たちは、
私たちの常識というもので考えて判断をする。
それは、人の世の事柄であるために、
かの世には通じない。
この世で かの世を判断しようとしても
それはできない。
かの世は、この世の経験とならないために、
経験とならないことは、人の判断となることがないからである。
もし、この世に於いて
かの世の経験をしたとしたら、その時点で
そこは かの世であるために、
この世の経験とならなくなる。
その時点で、その人は
かの世の人。
この世の人になることがない。
この世の人には、かの世の人を見ることはできないが、
眼で見るだけが見えるというのではない。
心は形態なく、その形態のない心で感じて見えるものである。
人の常識を無くして、自然を識として見えるものである。
自然を識として得たものを智慧という。
その時、かの世はこの世に滲み、
僅かながら知る事がかなう。




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