つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

おさらいして・

2017-04-22 | Weblog
いま世界人口は七十三億人ほどである。
ついこの間七十億人を超えたばかりである。
日本では、二千五十年ごろまでは人口がどんどん減っていくと試算されているが、
地球的人口は増えていく一方である。
エネルギーの法則は、生命エネルギーが魂八十億となった時、地上の変化によって、
一旦人類は滅ぶと合図する。
その原因は、人類の悪なるエネルギーの蔓延によるものであるとする。
言い換えれば、愛のない社会体制が作られて、改められる見込みがないと判断されたためと思われる。
それは、単にエネルギーの法則が、絶対善の動きとなっていることに沿わないための淘汰である。
法則に沿わなければ、摩擦となって円滑な流れとならなくなり、そのために、様々に良くないことが起き、
歪んで弾かれてしまうのである。道理である。道理は絶対にしてある為に百パーセントである。
地球は一日二十四時間ほどで廻っている。一日が経てばまた新たな一日が回ってくるように、
終わりなき世となっている。それは、二十四時がゼロポイントとなっていて、
即一時となって繋がっているいることでも分かるように、一旦という間が終わりと始まりとなっているのである。
その間は時間と空間のない間である。そのために、変化のない間であり、どれだけ長い間
そこに止まっていたとしても、零時と一時の繋がりは瞬時となって感受される。それが、時間空間の空白の間である。
この空白の間がエネルギーの絶対世界の間であり、生命エネルギーの真実の間となっている。
この空白の間があの世でもある。肉体のない世界であり、記憶の現象の世界である。
天国も地獄もこの間の世界である。

エネルギーが無限のエネルギーとなっているのは、円運動となっているための環状体状となっていて、
そのために、有限にして無限に動くものとなっているのである。その質が自由だからである。
この自由がエネルギーの根本である。つまり、全知であり全能という事になる。
ゆえに、この自由は他の如何なる力に於いても、動かすことはできないのである。
エネルギーの質が自由である為に、生命エネルギーも自由である。
回る変化が外部の変化となって刺激となり、この刺激を受けて反応したものが形となって現れてくる。
そのために、この世を受の世界として、受想行識の世界となっている。・・
コメント
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