38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

涼しそうな、オクラの葉陰。

2015年08月05日 | 農と暮らしの日記
オクラは葉が広がり、株もとに日陰ができるようになってきた。
こうなれば下草の勢いは弱まり、畝全体が乾燥しにくくなる。ハンモックでも吊って昼寝したら気持ちよさそう。
まずはその前に、1/10サイズに縮んでから。



水曜、今日も晴天、全国的な猛暑も続く。雨なし13日。
朝ごはんは、白じゃこの残り、真の弁当おかず残りの茄子とソーセージの炒めたの。

午前:人参草むしり。
昼ごはんは、昨晩のきのこスパゲティの残り。

午後:避暑の昼休みということで、市街の実家で帰省中の妹と甥っ子とトランプ。
大富豪なんか久しくやってなかったのを前の帰省のときに一緒にやって少し思い出した。
それと、七並べ。端まで行ったら逆から並べることができるルールは昔はやってなかった。
時代の差か地方の違いか。

日が少し傾いて、茄子・ピーマンの畑の草刈り。収穫。
晩ごはんは、きのこスパゲティの残りソース和えの鶏ソテー、鮪のあら煮、冷奴、オクラ茹でたの。



真は今日と明日、サッカーの練習試合。
ふだんの部活動はたいてい午前中だけだから、終日となると熱中症なんかが心配だけど、夏休み部活動といえば終日というのも珍しくないようだ。

僕は中学時代、卓球部だった。
日曜や夏休みは午前中だけだったと思う。弁当を持って行った記憶はないから。だから、午後はだらだら過ごしていたのだろう。いま、僕は家にいるから真が暇そうにしているとついついあれこれ言ってしまうけれど、自分を顧みれば、親が家にいないのをいいことに、高校野球が終わっても再放送の連ドラとかテレビばっかり見てぼーっとしていたのだろう。

当時、洗濯ものをたたんどけとか言われた記憶も少しあるけど、どれだけやっていたのか。
両親とも勤めに出ていたのに、早く帰宅する僕自身は晩ごはんの用意なんか絶対何もしてない。まだ小学生で、ばあちゃんがいた頃は行水のお湯を「おくどさん」で沸かす手伝いで薪を割ったり水を運んだりしていたけどれど、中学にもなるとほんとに何もしてなかったのだろう。

それを考えると、うちの子たちはずいぶん「まし」だ。
言わないとやらないし、言っても「それだけか」ってなもんだけど。
コメント
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