唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

「唯有識無外境」、果たして三界は唯心か? (93)九難義 (33) 第六 現量為宗難 (5) 

2016-10-04 23:05:26 | 『成唯識論』に学ぶ
    ―――たった一人でもよいから、なんでも自分の思っていることを素直に話せる相手がいてくれたら、どんなにありがたいことだろう――― フローレンス・ナイチンゲール

 三世実有法体恒有を主張する有部の外界実在論を概観しておきます。
 有部は存在要素を五つの範疇、七十五種に分類します。五位七十五法です。
 色十一
 心一
 心所四十六
 心不相応行十四
 無為三
 
 という内訳になります。
 詳細しますと、
 五位とは、
 (因縁変化を成立させる「有為法」内の)
(1) 物質的なもの」を意味する「色 (しき、梵: rūpa) 法」
(2) 「心の主体となる識」を意味する「心(しん、梵: citta)法」
(3) 「心のはたらき」を意味する「心所(しんじょ、梵: caitta) 法」
(4) それ以外」のものを意味する「心不相応行(しんふそうおうぎょう、梵: citta-viprayukta-saṃskāra)法」
 (因縁変化を成立させる「有為法」以外の)
(5) 「生滅変化なく、因縁によって動かないもの」を意味する「無為(むい、梵: asaṃṣkṛta)法」
 の5つに分類される諸法を総称したもの。
説一切有部では、『倶舎論』にその大綱は示されます。
 有為法の七十二種は、 色法の十一種、つまり、眼(げん、梵: cakṣus)、耳(に、梵: śrotra)、鼻(び、梵: ghrāṇa)、舌(ぜつ、梵: jihvā)、身(しん、梵: kāya) の五根と、色(しき、梵: rūpa)、声(しょう、梵: śabda)、香(こう、梵: gandha)、味(み、梵: rasa)、触(そく、梵: rasa)の五境(五つの感官と五つの認識対象)と無表色です。
 無表色(むひょうしき、梵: avijñapti-rūpa) とは、強力な善あるいは悪の行為が行われるとき(つまり業(身表業・語表業)が造られるとき)に、その業の余勢(表面から窺い知れない)が行為の終了後も行為者自身の上にとどまることとされます。

 心法(1)
 心 (識・意)(しん、梵: citta)
 心所法(46)
 大地法(だいじほう、梵: mahābhūmika)(10) - 最も普遍的な心作用。
 受(じゅ、梵: vedanā) - 苦・楽・不苦不楽の感受(五蘊の「受」に相当)。
 想(そう、梵: saṃjñā) - 対象を心にとらえる表象作用(五蘊の「想」に相当)。
 思(し) - 心がある方向に動機づけられること(五蘊の「行」に相当)。
 欲(よく、梵: chanda) - ものごとをしたいという欲求。
 触(そく、梵: sparśa) - 根・境・識の接触。
 慧(え、梵: mati) - 分別し判断する作用。
 念(ねん、梵: smṛti) - 記憶作用。
 作意(さい、梵: manaskāra) - 対象に注意を向けること。
 勝解(しょうげ、梵: adhimukti) - 対象がいかなるものかを確認し了解すること。
 定(じょう、梵: samādhi) - 心を浮動させず一点に集中させること。三摩地(さんまじ)ともいう。

 大善地法(だいぜんじほう、梵: kuśala-mahābhūmika)(10) - すべての善心とあい伴うもの。
 信(しん、梵: śraddhā) - 心のきよらかさ。四諦、三宝、および業とその報いとの間の因果性、とに対する確信。
勤 (ごん、梵: vīrya) - 善行に対して果敢なこと。
 捨(しゃ、梵: upekṣā) - 心の平静。かたよりのないこと。
 慚(ざん、梵: hrī) - 「他者の徳に対する恭敬」、もしくは「みずからを観察することによっておのれの過失を恥じること」。
 愧(ぎ、梵: apatrāpā) - 「自己の罪に対する畏怖」、もしくは「他を観察することによっておのれの過失を恥じること」。
 無貪(むとん、梵: alobha) - 貪りのないこと。
 無瞋(むしん、梵: adveśa) - 憎しみのないこと。積極的に、欲望の対象を捨てること、他を愛憐すること。
 不害(ふがい、梵: ahiṃsa) - 非暴力。
 軽安(きょうあん、梵: praśrabdhi) - 適応性。心の巧みさ。
 不放逸(ふほういつ、梵: apramāda) - 精励。専心して善を行うこと。

 大煩悩地法(だいぼんのうじほう、梵: kleśa-mahābhūmika)(6) - すべての悪心と有覆無記心にあい伴うもの。
痴(ち、梵: moha) - 愚かさ、無知のこと。無明(むみょう)ともいう。
 放逸(ほういつ、梵: pramāda) - 放恣であり善行に専心しないこと。
 懈怠(げだい、梵: kausīdya) - 怠惰であること、心が果敢でないこと。
 不信(ふしん、梵: āśraddhya) - 心が清らかでないこと。
 惛沈(こんじん、梵: styāna) - 心の沈鬱。
 掉挙(じょうこ、梵: auddhatya) - 心の軽躁なこと、心が浮動してしずまりのないこと。

大不善地法(だいふぜんじほう、梵: akuśala-mahābhūmika )(2) - すべての悪心とあい伴うもの。
 無慚(むざん、梵: āhrīkya) - 上記の大善地法「慚」の逆の心作用。
 無愧(むぎ、梵: anapatrapya) - 上記の大善地法「愧」の逆の心作用。

 小煩悩地法(しょうぼんのうじほう、梵: parittakreśabhūmi)(10) - ある種の悪心や有覆無記心とのみあい伴うもの。
 忿(ふん、梵: krodha) - 怒り。
 覆(ふく、梵: mrakṣa) - 自己の誤ちの隠蔽。
 慳(けん、梵: mātsarya) - ものおしみ。
 嫉(しつ、梵: īrṣyā) - 嫉み。
 悩(のう、梵: pradāsa) - 他の諌めをいれぬ頑迷さ。
 害(がい、梵: vihiṃsā) - 害意。
 諂(てん、梵: śāṭhya) - 心の邪曲。
 誑(おう、梵: māyā) - 欺瞞。
 憍(きょう、梵: mada) - 自己満足。おのれの性質を優れたものと考えて自己に執着する心のおごり。
 恨(こん、梵: upanāha) - 恨み。

 不定法(ふじょうほう)(8) - あるときは善心と、あるときは悪心と、あるときは無記心とあい伴うもの。
 悪作(おさ、あくさ、梵: kaukṛtya)- 過去の悪い行いに対してその誤ちを悔いる心作用。
 睡眠(すいめん、梵: middha) - 心の鈍重さ。眠(みん)とも呼ぶ。
 尋(じん、梵: vitarka) - 推究的な粗大な心の動き。
 伺(し、梵: vicāra) - 観察的な微細な心の動き。
 貪(とん、梵: rāga) - 貪り。心にかなう対象に対する欲求。
 瞋(しん、梵: pratigha) - 憎しみ。心にかなわない対象に対する憎悪。
 慢(まん、梵: māna) - 慢心。おのれは他より優れていると妄想して他人に対して誇りたがる心のおごり。
 疑(ぎ、梵: vicikitsā) - 「四諦」の真理に対してあれこれと思いまどうこと。(櫻部・上山 P111~116)

 心不相応行法(14)
 得(とく、梵: prāpti) - ある有情(存在)の身・心を構成する諸法や択滅・非択滅を、その有情につなぎとめている働き。すべての瞬間には心および心作用のいくつかの法が倶生(くしょう:ともに生起する)すると考えられているが、この「得」は、それら心・心作用が倶生の関係に結びついているところに生起する法と考えられている。
 非得(ひとく、梵: aprāpti) - 諸法のつながりを引き離すはたらき。得と逆作用をもつ法(ダルマ)。
 同分(どうぶん、梵: sabhāgatā) - 有情の各類に共通な同類性。たとえば、それぞれの人にはすべて人として共通の、それぞれの牛にはすべて牛として共通の同類性があると考えられている。衆同分ともいう。
 無想定(むそうじょう、梵: asaṃjñisamāpatti) - 無意識にまで至るほどな極度の精神集中。無想天に生まれることを真の解脱と誤解してそれを求める者が修する。
 無想(むそう、梵: āsaṃjñika) - 無想天に生まれた者のみが獲得する無意識な状態。無想果(むそうか)とも呼ぶ。
 滅尽定(めつじんじょう、梵: nirodhasamāpatti) - 心のはたらきが消滅した状態にある精神集中。聖者が寂静の境地を楽しもうとして修する。
 命根(みょうこん、梵: jīvita-indriya) - 生命機能。体温と心のはたらきとを維持する生命力を法の一要素として見たもの。
生 (しょう、せい、梵: jāti) - 生起すること。四相(有為の法(ダルマ)は、現在の一瞬間のうちに、本項以下の生・住・異・滅の4つの相状を呈すると考えられている)の一要素。
 住(じゅう、梵: sthiti) - 生起した状態を保つこと。四相の一要素。
 異(い、梵: jarā) - 状態が変異すること。四相の一要素。
 滅(めつ、梵: anityatā) - 消滅すること。四相の一要素。
 名身(みょうしん、梵: nāmakāya) - 文すなわち音節、句すなわち文章に対して、名辞を意味する。本項以下の名・句・心の三つによって、言葉のはたらきが、それによって認識が、成立すると考えられている。名身とも呼ぶ。
 句身(くしん、梵: padakāya) - 名すなわち名辞、文すなわち音節に対して、まとまった意味を表しうる文章を意味する。句身とも呼ぶ。
 文身(もんしん、梵: vyañjanakāya) - 名すなわち名辞、句すなわち文章に対して、音節を意味する。文身とも呼ぶ。
 
 無為法(3)
 虚空(こくう、梵: ākāśa) - 物の存在する場所としての空間。
 択滅(ちゃくめつ、梵: pratisaṃkhyānirodha) - 正しい知恵による煩悩の止滅。「択」とは法に対して正しい弁別判断をなす洞察力のこと。
 非択滅(ひちゃくめつ、梵: apratisaṅkhyānirodha) - 正しい知恵によらない法の止滅。(櫻部・上山 「仏教基本語彙(1)~(10)を参照)

 そして、物質の要素である大種と極微についての考え方です。
 一つ目は、物質は、基本要素としての四大種(地。水。火。風)から成ると考えています。その組合わせから造り出されたものが四大種所造色である、と。
 二つ眼は、物質は極微から成ると云う考え方です。(この考え方は非常に重要であると思います。明日にします。)