さうぽんの拳闘見物日記

ボクシング生観戦、テレビ観戦、ビデオ鑑賞
その他つれづれなる(そんなたいそうなもんかえ)
拳闘見聞の日々。

「砂上の楼閣」と切り捨てられぬ、眩い輝き 辰吉、驚異の王座奪取

2020-07-07 11:25:39 | 辰吉丈一郎



ということで辰吉丈一郎の思い出、8回目になりました。
これからもとりとめもなく、辰吉について思い出し、何かを書くかもしれませんが、とりあえず今回で一区切り、ということで。



1991年当時、9月19日の試合がどうなるかが、人生最大の関心事だった(笑)私は、指折り数えて試合の日を待っていました。
この頃、大阪でホテルマンをやっている知り合いがいて、彼の務めるホテルに、何とグレグ・リチャードソン御一行様が宿泊していました。

電話で話したときに、たまたまそれを知り「どんな様子?」などと訊いてみたのですが、ボクシングになどさっぱり興味のない先方は

「昨日、ロビーで見かけた。細かった。」

という、中身も何も無い答えしか、返してくれませんでした。


ただ、その後、それではあんまりな、と思ったものか、この知り合いが知らせてくれたところによれば、取材に訪れた報道陣の大半が、公開練習などで見せたリチャードソンの技巧に感心しきりで「相当(辰吉とは)差がある」「ちょっと敵わないだろう」という意見だった、ということでした。

これらの声が多数派であったとて、普段、専門的にボクシングを取材している人たち(頭数で言えば少数派?)の意見はまた別だろう、と思いはしたものの、前月のマガジンに載っていたインタビュー記事における、王者リチャードソンの言が、改めて心中に甦ってきました。

王者は、その膨大なキャリアと、それに見合わぬ不遇を経て掴んだ王座を、その技巧によって守ることで、自らの誇りを満たさんとするだろう。
対して、数少ない試合数の中で、試行錯誤のさなかにあると見える若き挑戦者は、どのように闘うのだろう。闘いうるのだろう。
そんなことを思いつつ、試合の日が来ました。



初回、ゴングと同時に、辰吉の足取りが軽く見えました。
私が勝手に分類する「118のタツヨシ」だ、と思った瞬間、辰吉が左のジャブをバッ、バッと続けて放ちました。

その瞬間、辰吉が勝てるかどうか、を心配していた気持ちが、霧散霧消したのを覚えています。

この試合、辰吉が勝つ。
いや、単に勝つだけではない。
今から自分は、新しい時代の幕開けを目撃するんだ。

そう思ったのでした。



高いヒット率を誇る軽打と、速い足を持つ技巧の王者は、まさっていなければならないリードジャブで先制され、後退の足捌きに出るが、辰吉は前にのめる寸前の、ぎりぎりのバランスを保ちながら、速い左を軸に追う。
時折、右を強振し、ミスもするが、どうやらそれは織り込み済みらしく、緩まず倦まず、速いパンチを狙い続ける。

しかも、攻め続けながらも、攻めの足捌きというか「追い足」という言葉通り、しっかり足がついていって、前にのめらない。
前に出ていながら、バランスを乱さない上に、それでもリチャードソンがクリンチに出ようとすると、その直前、ひと息前のタイミングでボディブローが出る。
当時、見ていて思ったのは「これ、リチャードソンはもっとクリンチしたいはずなのに、普段の試合より、そのチャンスが少ない」ということでした。


一見、ベテラン対新鋭、老巧対果敢、という構図がリング上に描かれているように見え、TVの実況解説、ゲストの元野球選手も、その「絵」に沿った精神論...というにも及ばない「お話」を盛り付けていく。
しかし、実際に闘われているのは、戦前の評通り、一級品の技巧を持つ歴戦のボクサータイプが、戦前の評を遙かに上回る「備え」を持つファイタータイプにより「攻略」される、驚異的にハイレベルな試合でした。


リチャードソンは、辰吉が力んで振ってくるのでなく、速くて伸びるジャブを中心に攻めてくるので、自分の好きに足が使えず、追われて忙しなく、休めない展開。
年齢どうとかは関係なく、アウトボクサーにとり、一番嫌な、難儀な相手との闘いを強いられました。

それでも中盤、踏ん張って、彼にしては強打、強振といえる、アッパーカットを織り込んだコンビネーションで辰吉を打ち据える場面も作りましたが、このような「攻勢」に出ねばならなかったこと自体、この試合の展開が、彼の手を離れてしまっている証左でした。


8回、1分半くらいでしたか。リチャードソンが僅かにバランスを乱したところに決めた、辰吉の右ショートアッパー。
一見、地味に見えたかもしれませんが、後に故・佐瀬稔氏が「まさしく、天才の一打」と評したパンチで、リチャードソンの防御は「切り開かれ」てしまい、辰吉はここぞとばかり、持ち前の多彩なコンビネーションパンチで攻め込みます。

8回終盤、そして10回終盤の猛攻。
そのキャリアの中で、けっこういろいろと「やらかし」ていることでも知られるベテランレフェリー、トニー・ペレスが場内の大歓声に遮られ、ゴングの音を聞き取れず、その結果、数秒間余計に打たれるという不運にも見舞われた王者は、11回の前に棄権しました。



試合後、リチャードソン陣営が、辰吉の「アマチュア19戦、プロ8戦」のキャリアを「信じられない」と語ったとおり、この日のリングで辰吉が繰り広げたボクシングは、それまでに見た、色々な試合...それこそ中量級スターウォーズの4人や、タイソンのような海外の大スターの試合を含めて見ても、それに劣らぬ水準にあり、とてもではないが、こんな浅いキャリアのボクサーが成しえるものではなかった、と思います。

しかし辰吉丈一郎はそれを実現し、プロアマ合わせて300戦を優に超えるキャリアを持つ技巧派王者に対し、あらゆる面から見て100点満点に近い勝ち方で、その王座を奪いました。
その過程において、今にして思えば、心身共に相当な無理や無茶をしていたのだろう、とも思います。

少ない試合数で、対戦相手のレベルだけはあっという間に上がる。
その試合のたび、キャンプも含めたハード・トレーニングを繰り返す。
若い肉体は鍛錬の度に強くなっていくが、経験は試合の数だけしか積めない。
技術面でも、ある部分は突出して高度だが、当然あれこれ欠けた部分、手が回っていない部分もある。

トーレスもリチャードソンも、その欠落を突くだけの力は持っていた。
しかし、トーレス戦での苦闘を経て、辰吉はこと、ボクサータイプの攻略に関して、それこそ古今東西通じても、これほど見事なものは希ではないか、と思うようなボクシングを、この早急に組まれた大一番で、やってみせました。

それは、本人が嫌う表現なのかもしれませんが、やはり「天才」故の仕業、なのでしょう。
逆に、これは後年、本人が好んだ表現ですが、それ故に、これほど見事な「作品」がひとつ、出来上がったのだ、と。


そして、それは後の目から見れば「砂上の楼閣」そのものだったのかもしれません。
その後の辰吉丈一郎が歩んだキャリアは、残念ながら、それを証してしまっている。
そう言われれば、私は返す言葉を持ちません。

しかし、そう切り捨ててしまうには、あの試合の衝撃は、感動は大きく、辰吉丈一郎の放った輝きは、あまりにも眩いものでした。
今も様々に、辰吉丈一郎の闘いぶりを通じて、今の、未来のボクシングを思い、考える自分がいます。





この試合からもう29年が経ちますが、いまだに記憶の中に、細々とした試合展開が焼き付いています。
試合を録画したVHSテープは、DVDディスクに変わり、今はHDDへと引っ越していますが、改めて映像を見返すまでもない...と格好良く言い切る自信もないので(笑)一度見直してみたんですが、記憶と違っていた部分は皆無でした。

我ながら...ちょっと怖いような、しかし自分自身に呆れるような気持ちになりました。
これも、辰吉丈一郎の偉大故、というまとめ方は、無理でしょうか。そうでもないなあ、と思う気持ちでもありますが...。



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5 コメント

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Unknown (アラフォーファン)
2020-07-07 14:06:57
当時はボクシングに興味がある訳でもなく、後でYouTubeで見たクチですが、まあ素晴らしい!よくさうぽんさんのおっしゃる、強打をあてにするファイターとは無縁、左がおそろしく伸びる、キレる。理想的ですよね。考えたらこんなに速く、伸びる訳じゃないですが、同じく8戦目でカスティーヨを攻略した名城さんも、ジャブをきちんと使えるタイプでしたよね。そうやって見ると、ジャブの上手いファイターに思わずおお!となります。
返信する
コメントありがとうございます。 (さうぽん)
2020-07-08 13:55:16
>アラフォーファンさん

仰る通りで、言われてみればそもそも、ファイティング原田がそうやないか、とか、良いときのタイソンも、とか、色々思い当たりますね。ファイターだからこそジャブ大事よ、と、手応え欲しさに振り回す選手を見るたび、思います。

返信する
Unknown (NB)
2020-07-09 01:10:51
辰吉丈一郎企画ありがとうございました。
多少、私自身煽ってしまった部分もありまして…ここまでのものを書いて頂きまして感謝です、楽しかったです!

辰吉選手のボクシングはボクシングファンの方たちは、いろいろありましたがたくさんの夢や楽しみを与えてもらったと思いますし、辰吉選手が魅せたボクシングは良くも悪くもですが今に続いてる気がします。
良い所、悪い所がわかりやすいというか、モロに出ていたボクシングでしたから、現在ボクシング指導されている方などは、参考にされたりするんじゃないでしょうかね。

ネット等では辰吉選手の評価がいろいろありますが、辰吉…畑山…長谷川…西岡……、そして現在最高傑作『井上尚弥』。
どんどん上向きの日本ボクシング、辰吉ボクシングは間違いなく必要だったと思ってます。
返信する
砂上の… (元おっさんボクサー)
2020-07-09 22:20:43

お疲れさまです。

辰吉先生は
砂の上に
堅牢なお城を
本当に建ててしまった 天才…、

でも
やはり砂上だったのかな…

と後付けな反則思考回路の己に辟易。


返信する
コメントありがとうございます。 (さうぽん)
2020-07-10 14:15:15
>NBさん

いえいえ、単に楽しんでやっているだけのことでして。大したものが書けるわけでもないですが、こんな時でもあり、色々振り返るには良い機会でした。
この後の辰吉については、もう書いたものの中で語っている部分もありますが、後々教訓とせねばならないこと、語られてはいないが大問題として残ったことなども含め、今の井上尚弥の行く先と絡めて色々思うことがあります。その辺は井上のキャリアと共においおい、というところで...。


>元おっさんボクサーさん

実際、トーレスとリチャードソン、もし対戦する順番が逆だったら、それこそジャブと速いコンビとフットワークを思うさまに駆使したリチャードソンが、リング狭しと舞い踊るワンマンショー、という風情の試合になっていたかもしれない、と今になって思います。リチャードソンはそれだけの実力者であったと。
しかしその相手に、あれだけ自分から出続け、バランスをギリギリのところで維持し、リチャードソンの速いジャブの大半を、それこそ天才の仕業としか言いようのない「目」の防御で外し、それ以上に速いジャブから切り崩していった。まさしく驚異の闘いぶりであり、古今東西のボクシングを振り返っても、これほどキャリアに差がある組合わせで、こんな勝ち方が出来たボクサーは希だ、と思います。

ただし、眼疾などの影響もあったとはいえ、この後に対するどんなボクサーにも、基本、この試合のように強者として立ち向かい、同時に万全の「目」で外す前提の防御にこだわった一点においても、あまりに無思慮であり、それを正せなかった指導陣共々、あまりに未熟であった、と言わざるを得ません。そういう意味で、やはり脆弱な土台の上に立てられた、壮麗な建築物であった、とこの試合を振り返らざるを得ない。心底、残念ながら、そう思う次第です。


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