ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

「ありがとう」の表現

2007年06月18日 | 新聞から
              桔 梗
            明智光秀の紋
       蕾が面白いです、きっちりと5角形

「感謝の意示すことの大切さ」と言う題で中学生の女の子の文章です。

『下校途中、私は自転車に乗った高校生の集団とすれ違った。道幅が狭く相手の人数も多かったので、私は道の端のほうへよけてすれ違うのを待った。楽しそうに話しながら此方に来るので私の事など気にかけないだろうと思っていた。しかしすれ違った瞬間、此方に気付いた高校生の一人が小さく会釈してくれたのです。まさかそんな反応が返ってくるとは思っていなかったので、戸惑って何も反応できなかった。その反面、とても嬉しくもあった。自分がしたことに対して感謝の意を示してもらえると言うのは、行動を起した側としては、以外に嬉しいものである。・・・中略・・・「有難う」と口に出さなくとも、会釈をしたり、目礼をするだけでも、相手は「自分は感謝されている」と思うことができる。そんな少しの事が、実はとても大切なのではないかと思う』

これを書いたのが14歳の女の子、よっぽど嬉しかったから投書したのでしょう。
自分達が大勢で自転車で通過するのを、道端によけて待っている子が居る事に気付き、自分の仲間の話の腰を折るでもなく、気付いた自分が、感謝の気持ちを会釈で表した高校生。どちらも周りの事を考えての行動ができる子供たち。嬉しいお話でした。

人の好意に対して「ありがとう」の心を持てる人、自己中心の世の中と言われている現代の若い人にも居るんだ。この子達のお母さんはどんな人なんだろう。子供は親をよく見ています。特に女の子は同性ですからきっちりと見ています。

しかし親が良いから子もいいとは言えない。私の親も「有難う」の気持ちを相手に伝えることの上手な人でした。でも私は感謝の気持ちを持つことだけは出来ても、それを行動に言葉に表すことは下手だった。「ありがとう」は言葉に行動に表さなければ相手に伝わらないと感じて、行動に移し始めたのは大人に成ってからだった。変な話だが「ありがとう」の気持ちを表すのが何だか恥ずかしい、その当時はそう思ってた。

母は自分の感謝の気持ちを言葉を確実に表していたな~と思い出すようになってから、又、普段は無口な友が「ありがとう」の気持ちだけははっきりと言葉にしているのを見て私も見習わなければと思った。

私に比べて、この中学生と高校生は立派、年齢ではなくこういう事の出きるのが「大人」と言うに相応しい人なんでしょうね。

「こうのとりのゆりかご」利用者は居たんですね。一人の子には手紙が添えられていて「如何しても育てられません」って書いてあったそうですが、どういう意味なんだろうか、若い人なんでしょうか。「こうのとりのゆりかご」が無ければどうしていたのでしょうね。名前と生年月日は書いてあったそうです。

と言う事はもう一人の子は、名前も生年月日もなしで預けたと言う事ですか?この子はこの世に生まれた年月日さえ知らずに生きていくのですか? 推定で誕生日を決めるんですか? 同じ「こうのとりのゆりかご」に預けられても親の愛情の在るなしを感じますね。せめて真実の生年月日くらいは添え書きしてあげてください。成人して、自分には何一つ真実のものが無いと知った時の気持ちを考えないのでしょうか。

欲しいと望む家庭に子は生まれないで、いらないと言う所に子が生まれる。望まれなくともその子はこの世に必要だから生まれてきたのだろう、幸せになって欲しいと思う。
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尼崎港に大型貿易拠点誕生

2007年06月17日 | 気にかかる
              カランコエ
         今年の冬、茎がたった一本になり
          駄目かな?と見守っていたら
        鉢一面に増えている、弄繰り回さず
      そ~っと見守る事も必要と教えてもらった

昨日の白井市長のお話の冒頭に「午前中は『尼崎西宮芦屋港多目的国際ターミナル』の開始式に行ってきました。今はクールビズの時期なんですが、通達が背広にスーツと言うのです。行って見ますと、知事はクールビズ、他の人は背広にネクタイ姿でした」と話し出されたのです。クールビズの時期は通常勤務であろうとこのような式典であろうと徹底してほしいと言うご意見と感じました。

見る側といたしましては、やはり式典の時は背広にネクタイの方が相応しいような気がします。

同じ市長と言えど、在職中に、市の歴史に残る事(この度のテープカットとか国体における天皇皇后のご先導役等)に名を記される白井市長は強運な方だと思います。

尼崎港に大型貿易拠点が誕生したわけで、全面オープンになるのは平成21年だそうです。「今は食料加工品の積み出しが主で、それも勿論重要なことですが、市内で作られた物の輸出、その材料の輸入と港が発展する事を願っている」と言われたのが印象に残っています。

恥ずかしい事に尼崎港が何処にあり、どの様な船の出入りがあるのかも知りません。生まれたのが神戸の中突堤(夏に打ち上げ花火をする場所)の北側の元町、働いていたのが海岸通と港には縁があるのですが、神戸の港は繁華街から手の届く位置にあります。尼崎港は何処に?・・・。

「市バス」に話を移しますと、尼崎は阪急、JR,阪神と3本の電車が通っております。又夫々の「バス」も運行されております。路線は交じり合う事無くテリトリーが分かれております。上手くいってはいるのですが、考え方を変えれば「A]に行くのに「B]までは市バス、「B]からは阪神又は阪急の乗り換えなければ「A]にいけないという不便さもある。

もう一つ「尼崎の市営バス」の運営費は乗客の運賃と高齢者の無料パスの補助金として15億円、赤字補填の3億円と言う出費がある。大阪、神戸は以前から70歳からの無料パス(神戸、大阪は市営地下鉄もあるので広範囲の使用が可能だ。)だが尼崎市は65歳からだった、現在はスライド式で70歳からの発行の延長を目指している最中だ。無料パスを貰う資格に所得制限を設けるとか、運賃の一部負担の問題とか、路線の直行化とか色々検討したいと言う。

このような「市バス」に関する問題をもう一度考え直したいと、懇話会、そして親和会(懇話会、親和会の違いが私には解らない)を持ちたいと申し出たが、議会で却下された。その理由としては、懇話会に市民の参加を認めていないからだと言う。役所側(市長側)としては懇親会で専門家の意見を聞き、それを元に親和会で市民参加してもらおうと言うことらしい。

市バス無料パスについては私も利用させていただいて、ありがたい事だと思っています。時間帯によっては無料パス使用者のみと言う事もある。趣味の教室に通えるのも、このパスが在るから助かっているとは良く聞く話である。

バスは如何なんでしょうか、無料パスの人ばかり(現金収入なし)でも、空で走っても経費に格段の差は無いのでしょうか?時間帯によってはもう少し小型化するのは如何だろう?色々考えて頂いて、昨日の子供達の給食設備に少しでも回していただければと考える。市民が平均に恩恵が受けられるようにしていただければいいと思います。
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白井文と輝く尼崎の会

2007年06月16日 | 今日この頃
          アスチルベ・ダイアモンド
     ピンクもあるようですが見た事がありません
      ニュージランドでは大株を見ましたが
           我家では小鉢です

「白井文と輝く尼崎の会」この長い名前も、馴染む内に余り長いと感じなくなってきました。「後援会」の通常総会だったんです。「通常総会」聞きなれない言葉です。普通は「総会」とだけ言いますよね。今までも当会は「通常総会」と呼んでいたのでしょうか?うかつにも気付きませんでした。
通常総会:社団法人の社員総会。民法上少なくとも年に一度開く事を要求される。

後援者が1200人程だそうです。毎年未払いの人が200名も居るんですって、払いたくなければ、後援会に入らずに応援だけすればいいのにと思います。今回の白井市長の再選に関しては10万1388票でした。と言う事は10万票は後援会員で無い方と言うことでしょう。会費は365日、日割り計算すると、1日8円なんですけど。一日10円貯金でお釣がきます。

おまけに今日の出席者は80名足らず。120名入れる会場にですよ。去年は「市長と桂小米朝さんの対談」だったからでしょうか、200人ほどでした。1/3の今回との差は何?

受付に人が多いんです。私はあやこさんと行ったんですけど、「大勢の人が受付に並んでおられると、圧倒されて、気後れがするわね・・・」待たせては悪いとのお心使いかも知れませんが、100人程度の集会に10人近い受付なんです。二人して気楽に此処まで来たのに、ずら~っと並ばれた人を見て「何?」って、立ち止まってしまいました。顔見知りのおおつかさんを見つけて、急いで受付を済ませ、我が身を会場に押し込めました。「そういえば去年もこんな感じだったね」とあやこさんと話した。

会場にはまさこさんが来ておられた。風邪で声が出ないので、久し振りなのにお話できなかった。他に知ってるお顔は両手に満たなかった。

役員継続等、議題はシャンシャンシャンと滞り無く終わって、白井市長のお話です。

10万票頂いても、中々議会は厳しい事、議題への賛否が市民の望みに沿ったものであるかどうかを見守って欲しいと、これは議会に足を運んでくださいと言う言葉であると私は感じましたが、後援会ですから。

一番身近の問題は学校給食に関してでした。尼崎は給食設備が古く、市長が小学生だった時と同じ副食は2品だけだそうです。芦屋は4品、西宮は3品だそうです。
装備が古い為「煮る 炒める 揚げる」の調理法しか出来ない。新しい設備では「蒸す 焼く」が出来るようになり、他市のように品数が増える事になるようです。

設備を新しくするには1校に1千万円掛かるらしい。其処で給食を民間委託にして(現在175日働いて930万円)経費切り詰めを計ろうという市長の考えは議会に受け入れられない。市長は訴え続けて居られるそうです。市民の反応は99%「民間委託賛成」、PTAのお母さん頑張って、1日も早く設備を整え、他市並みの給食になるように声を上げてください。小学生を持たない私達でも署名なら出来ますよ。立ち上がってください。

給食の御飯も県平均は週3回、わが市は2.5回、これも白井市長になってから0.5ポイント上げたそうです。

尼崎港のこれから話、市バスの話等盛りだくさんでしたが、又の機会にいたします。

白井市長は良く頑張ってくださっています。そのご褒美を差し上げるとしたら「市議会傍聴」よりありません。年に1度でもいいです。「市議会」に足を運びましょう。
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祝祭日

2007年06月15日 | 気にかかる
       未央柳(びようやなぎ)別名:美女柳
       街路樹の下草の感じで植えられている
     このまつ毛のようになるまでの変化が面白い
            実もなるらしい

『自公、秋のGW構想断念』だそうだ。元々が公明党が出した案で公明党の斉藤政調会長は「長期休暇が取りやすくなり、体と心がリフレッシュできる。お金の掛からない景気対策や観光振興策と言う点からしても、検討に値する」と言う。

11月3日の文化の日の前後に、体育の日(10月第二月曜日)と勤労感謝の日(11月23日)を移し3連休とし、土日を合わせての5連休を狙っている。

たとえこの案が認められたとしても、これを「恩恵」と受け止める人は国民の何%いるのだろう。サラリーマンも一部の人だけだろうし、商売人は(観光振興に属する人を除く)別々であろうと、一纏めにしようと関係なさそうだし、そう考えると「恩恵」を受けるのは官僚、議員、公務員、学生(家でゴロゴロ、三食を作るお母さん大変だ)か?だとすればこれもお得意の「お手盛り」?

大型連休はそんなに必要だろうか?遠い故郷に帰る方には便利かもしれないが、今はお盆休みも長くなっているし、正月休みも控えている秋にいる?連休ゆえに交通機関も込むし、心体のリフレッシュ所かイライラとストレスが貯まりお父さん命を縮めませんか?

そもそも祝祭日(皇室関係の休日が祭日、その他が祝日)はその日に意味があって休日になったのに、成人の日:1月15日から1月第二月曜日(今年なんか8日と一週間も早い)へ。海の日:7月20日から7月第三月曜日へ。敬老の日:9月15日から9月第三月曜日へ。体育の日:10月10日が10月第二月曜日へ。と変更された。

何れにしてもその日に意義の通り不変の日のほうが良かったように思うが、西洋ではこの変則的な休日があるのでそれに倣ったのだろうか。

敬老の日は一時「老人の日」と称していなかっただろうか?それを又もとの「敬老の日」に戻したのは何故?名前を変えた人も老人になったから?敬って欲しい?

体育の日は10月10日、東京オリンピックの開会式を記念して儲けられた日なのに移動日にしたのでは意味が無いと思うのだが。10月10日に開会式と決めたのは、その日が、気象の「晴れ」の特異日だから、「雨」の心配が少ないから選んだと聞いた覚えがある。

4月29日「天皇誕生日」が「みどりの日」と変わったが、この度5月3日:憲法記念日と5月5日:こどもの日との間の5月4日を「みどりの日」とし連休としたので、元の「みどりの日」である4月29日が昭和天皇の誕生日である事から「昭和の日」と変えられた。「昭和の日」があるなら11月3日:文化の日は明治天皇の日であるから「明治の日」と呼ぶべきと言う意見もある。

こうなれば何れは12月23日は「平成の日」、2月23日(皇太子殿下誕生日)も「XXの日」、そして9月6日(秋篠宮家嫡男誕生日)もその可能性が在る。と言うように休日は増えていく。

休日を連休にする為に移動させるのは良くないし、その日の意義がなくなってしまう。願わくば移動させられた休日も元の固定型に戻していただきたい。

土曜日が休日になったことによって一年365日の内の50日が増え、約100日と祝祭日15日、計115日(1年の1/3)が休日になっている。リフレッシュするのに充分な日数ではありませんか。「過ぎたるは及ばざるがごとし」で休日が多すぎてお父さんは家庭サービスに益々お疲れでは・・・。

何事も余り手を加えるのは良くない。大型連休にするだけの為に、意義あってなったその日を動かす事は愚かな事だと思いますが。
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文字

2007年06月14日 | 新聞から
          ダリアも咲き始めました
        二度咲きで、花後剪定して置くと
        秋に色濃く一段と美しく咲きます
         30年以上我家の住人です

関西にも「入梅宣言」が出たようです。暫くジメジメした日が続きます。

ローマ字についてこんな記事が載っていた。以下は抜粋である。

『戦後間もない頃、日本を占領していた連合国軍総司令部の中に日本語をローマ字化しようという動きがあった。日本語の核である漢字は習得に時間が掛かる。そのため戦前の日本国民の教育は低く、民主化できなかったからと言う理由である。むちゃくちゃな論理である。

だが日本人でも「戦争に負けたのは文字のせいだ」「子供たちの将来の為にはローマ字の方が良い」と考える教育者もいたらしい。「自主的」に国語や算数を教える授業も行われ、ローマ字は急速に進んでいった。所が当時の文部省教育研究所が全国の2万人あまりを対象に、日本語の読み書き能力検査を行ったところ過半数が9割以上の正解率となった。これでローマ字化する当初の理由は否定された。

もしそのままローマ字化が進んでいれば今、社会の中心に居る人はほとんど漢字もひらがなも使えない。古典派はもとより、漱石や鴎外らの近代文学すら「原典(引用・翻訳・改作などの元になった書物)」で読めるのは、特別に「日本字」を学んだ人だけになっていたはずだ』と言う。

確かに戦後、ローマ字の時間はあった。でもそれは文章をローマ字に直すと言うものであって、ローマ字で国語や算数を習ったのではない。

今私が「漢字」を習っているから強く感じる事かも知れないが「漢字」には夫々の意味があり、形作られた歴史がある。「漢字」を目にしただけでその言わんとすることがたちどころに脳裏を掠める。「漢字」は優れものである。味も素っ気も無いローマ字にされていたら、今頃はどんなことになっていたのであろうか。

日本独特のものといえば、女性用として編み出された「かな文字」だろうか。今の漢字と仮名の組み合わせは、読んだだけで直ぐ意味が解る優れものだと思う。「ひらかな」と言われる字である。

もう一つ「カタカナ」と言うのもあるが、これは外来語、国名などを表す時に、自然に使っている。さて「カタカナ」は何時頃出来た文字なのだろう。

昔は「振り仮名:ルビ」は「カタカナ」であった。今、名前に振り仮名を付ける時、一瞬迷う事がある「ひらがな」「カタカナ」どちらで?と。

尋ねたことがある「ルビはひらがなですかカタカナですか?」「『ふりがな』と書いてあれば『ひらがな』で『フリガナ』と書いてあれば『カタカナ』で打つのでは無いでしょうか」明快である。私は何を迷っていたのだろうと可笑しかった。

もし文字がローマ字になっていたら「書道」も無くなっていたのでしょうね。

記事は続きます。『文部省で行った高校3年生の「学力テスト」で古典の成績が悪化している。大学入試に使われる割合が減っているのと、パソコンなどの普及で文学など読まなくなったからかもしれない。このままでは、古典文学にこめられた日本の「美」だけでなく、「日本書記」などから読む古代史の世界も遠いものになり、能や歌舞伎も理解できる人が少なくなるに違いない。そんな日本文化の危機がひしひしと感じられる』と嘆いている。

外国で日本語ブームは続いているらしい。就職に有利、通訳と言う職業に関する事で習う人も多いだろうが「俳句」など日本文学に興味を持った人も多いような感じもする。



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鈍感力

2007年06月13日 | 読みました
              百 合
           黄色は2色ありました
        これはまっ黄色で上向きに咲きます

          
          鈍感力    渡辺純一

「鈍感力」の新聞広告の文章が良かった。「鈍感力」の持ち主はこういう人を言うと端的に書いていた。読みながらあの文章を探したが、見当たらなかった。と言う事は編集者が纏めた「鈍感力」のキャッチコピーという事か。私はあの文章でこの本を読みたいと思った。

「鈍感力」の本のキャッチコピー
・ 小さなことで動じない「にぶさ」こそ、今を生きぬく新しい知恵
・ 今を生きぬく新しい知恵。渡辺流!男と女の人生講座
・ この複雑な現代社会をより良く生き抜くためにはある種のにぶさ「鈍感力」が必要である。
・ 逆転の発想をあらゆる角度から具体的に指し示す。人生を成功に導く為の処方箋17章!

膨らむ期待を胸にページを繰った。「???」助走だから?、そんな気持ちで最後になった。私の期待とは違っていた。全てに鈍感な方が本人も又周りとの関係も上手く行くと言う事は解りました。でも何か違うんですね。私が教えて欲しい、感じさせてくれるだろうとしていた期待と・・・。

第一章
それぞれの世界で、それなりの成功をおさめた人々は、
才能は勿論、其の其処に、必ずいい意味での
鈍感力を秘めているものです。
鈍感、それはまさしく本来の才能を大きく育み、
花咲かせる、最大の力です。

第二章 叱られ続けた名医
健康である為に最も大切なことは、
いつも全身の血がさらさらと流れることです。
そのためには、余りくよくよせず、他人に嫌なことを
いわれても、直ぐ忘れる。このいい意味での鈍さが、
血の流れをスムースに保つ要因になるのです。

第六章 図にのる才能
才能のある人に周りには、必ず褒める人がいて、
次にその本人が、その褒め言葉に簡単にのる。
この「図にのる、調子のよさ」は
所謂、はしたないことではなく、その人を大きく、
未来に向かって羽ばたかせる原動力となるのです。

第十章 嫉妬や皮肉に感謝
友人や会社の同僚による嫉妬や中傷、嫌がらせなどはよくあることである。
しかし、いやなことをいわれてもぴりぴりせず
どうして相手がそういうことをするのか、
のんびりゆっくり考えて、相手の気持ちを察してやる。
この心の広い鈍さこそ、生きていくうえでの大きな力となっていくのです。

第十七章 母性愛 この偉大なる鈍感力
母親の愛は、鈍感力の最たるものです。
自分のお腹を痛めて生んだ子供がやることは
全て愛しくて、許せる。
この許せる気持ちそのものが
まさしく鈍感力を生み出す原点になるのです。

授乳について、敢然と胸を広げてお乳を与えるのは「鈍感力」無しには行えない行為。女性としてはいささか放恣な、だらしない姿といえなくも無い。男から見れば、気恥ずかしい、できることなら目を背けたい姿である。人目があっても授乳の為なら平気で胸をさらす。

異議ありです。そんな人も居るかも知れませんが、私の場合同席者が居れば背を向けて授乳しましたし、止む終えず対面の時はハンカチで覆ったものです。又「敢然」と言う勢い込む行動ではないし「放恣」と言う淫らさはない。その他母性に関しては「鈍感力」と一言で片付けられるのは納得しかねます。

       愛の流刑地  上 下   渡辺純一

この本が何故ベストセラーなのかわかりません。48人も待って手元に来た本ですから、飛ばし飛ばしですが最後まで読みましたが・・・。










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加藤登紀子さんの母

2007年06月12日 | テレビから
              鉄砲ゆり
         純白の清楚さと香の高さが良い

「時の記念日」に「スカーフの結び方」と言う「トラックバック」が送られてきました。「???」でした。本文を読み返してみて「スカーフ」について記しているのに気付くお粗末。お洒落な方は「スカーフ」の使い方が上手。「スカーフ使い」が「洗練されたお洒落さんの印」のように言われていますね。実際そうだと思います。あの四角い布で地味な服も華やぎ、お勤め帰りの服装も「スカーフ」を持っていれば夜の集まりに直行も可能。

私は「スカーフ」使いに関心はあるものの気持ちだけで、三角に折、首に巻きつけるだけです。何しろ「猪首」でスカーフが映えないのもその理由。でも加齢により「首」と付く所(足、手、首)は暖めた方が良いそうですので、「スカーフ」の出番も増えると思います。お勉強いたします。

「木曜日には又雨やって」と主人「???」「木曜日までに片付けられへん」芝の上の枝の山の事を言っているらしい。「え~やんか、雨にぬれても捨てるものやし。ぬれても又乾くやん」主人は心配性、私はのんびり型。息子達はどちらのDNAを受けているのでしょうね。私は捨てる木が濡れる事より、右腕にかぶれ(毛虫の毛だと思う)で痒くて堪りません。

「徹子の部屋」に加藤登紀子さんとお母様が出ておられました。90歳を過ぎておられるのに、家事は自分でなさり、それだけではない、着ておられるスーツもご自分で作られた。孫、ひ孫の着るものも縫う事があると言っておられた。

お料理は「ロシア料理店」をしておられた程ですから、抜群にお上手なんでしょう。今でも働いている登紀子さんに代わって5人分の用意をされるそうです。「周りに料理をする人がいませんから・・・」と笑っておられました。

「ロシア料理のお店」は12年前80歳になった鬨にお店も40周年に成ったので辞められて、お孫さんが後を続けておられるそうです。

ご本人が言われるには「90過ぎて、欲が無くなり、自然に近づいた感じがする」登紀子さんの母親感は「今の瞬間を最高であるように努めている。何事にも積極的」

登紀子さんの「百万本のバラ」をお母様のご希望で弾き語りされて、この歌の生まれた時の気持ちを吐露された。86年にこの歌を歌い始めた頃は娘三人が手を離れた(三女が小学校に上がった)時、これから歌で頑張るぞ~と出したのがこの歌なんです。でも考えれば娘三人を育ててくれたのは母なんです。母に任せておけば大丈夫と思っていました」これを受けてお母様は「仕事は良くやっております。でも仕事に成功しても、育児の方が大切だと思うのです。其の事で後悔させたくなかったのです」登紀子さんは本当にお幸せ。お母様も娘、孫、ひ孫に囲まれて頼りにされてお幸せ。

9日の日に神戸で加藤登紀子さんのコンサートがあって、お友達(私より年上)が初めて行ったそうです。「千の風になって」も唄ってたよ。百万本のバラはラストだったよ。凄い人気で驚いたよ」って言っていました。

加藤登紀子さんといえば年末の「ほろ酔いコンサート」が有名ですよね。名の通り、客席も、ご本人もお酒を頂きながらのコンサートらしいです。私はお酒は飲めないので、他のコンサートに一度行って見たいと思います。

親子四代の生活を支えている92歳のお母様、背筋が伸びて、物言いもはきはきと、90歳過ぎてもこんなに素的な方が居られるとは驚きです。その心底を支えているのが助け合う家族愛。武者小路実篤さんの明言「仲よき事は美しきかな」




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賢い主婦って

2007年06月11日 | 気にかかる
             百 合
        赤い色と言うのは写し難いです
      色が飛ぶと言うか、ほわっと写ります
          やっと撮れました

昨日一昨日と、晴天だとお思えば、土砂降りになったり、雷が鳴ったりと、何か狂ったようなお天気でした。今日は一日中お天気が良かったです。

今までは主人が木の切り込みをしていたのですが、この度初めて人にお願いしました。主人が人伝に探してきた人は、植木屋さんではなく、所謂庭の手入れでも、建築でもお手伝いをする人のようでした。

気がついたときは木は丸裸、信じられない無残な形になりました。切り倒した木の下敷きになってアジサイが折れたり、咲くのを楽しみにしていた花がなぎ倒されたり、一生懸命咲いているナンテンの花を切ってしまったり(木下の低木はさわらないと言っていたのに)と目も当てられません。

花に興味の無い主人は満足だそうです。「すっきりした!」って。私は大不満です。主人が切っていた時は見張っていないと何でもぶすぶす切ってしまうし、草と雑草の区別がつかなく折角の花を根こそぎ抜いてしまって、要らない雑草がすくすく育っていたりしますので、目を光らせていました。

「切ってくれれば、後は片付けます」と言ったらしく。切った枝はそのまま帰りました。植木屋さんなら、落とした枝は皆持ち帰ってくれると聞いています。この処理が大変なんです。値段を聞いて安すぎると思ったんです。植木屋さんに頼んでいれば、木は丸坊主にならず、枝も持ち帰ってくれて、お庭はすっきりしているはずです。

芝の上は無残に落とされた枝がうずたかく積み上げられています。「安かろう悪かろう」では何にもなりません。「安物買いの銭失い」の言葉通りです。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

随分前の新聞ですが、こんな記事が載っていました。
「賢い主婦の選択」:一時期、奇妙な広告が出ていました。「賢い主婦はスーパーで手前の古い牛乳を買う」と言う1ぺージの大広告だ。私は生鮮食品でなくても、賞味期限を調べて一日でも日付の遅いものを、引っ張り出して買う。

古い牛乳には新しい牛乳に無い何かの要素が加わるのかと思えば、そうではない。「自宅に古い牛乳があればそちらから飲むであろう、牛乳を無駄にしたくないからだ。それと同じでスーパーでも古い牛乳から買うべきである、何故なら期限が来たら捨てられて、資源が無駄になるから」と言うのである。

この発想は何処から出てきたのだろう。「古い牛乳を買って資源を無駄にしない主婦は賢くて、裏を返せば新しいものを買う主婦は馬鹿だと言う事だ」スーパーの牛乳を無駄にしたくないのならそれは其の店が仕入れ量等考える事ではないですか。勝手に余るほど仕入れておいて、主婦に古いものから買えとは、何と言う言い草だろう。大きな紙面を使って無駄な広告料を使って。

この広告の後に「不二家」の騒動が起きた。賞味期限の切れた牛乳を使って洋菓子を作っていた事が発覚して「捨てるのが勿体無いと思った」と弁明した。古い牛乳、即ち会社の必要コストを抑えて、利益を得ようとしただけではないの。

今はもう、ケーキも販売をしているようだが、売れているのだろうか?信用の回復ってそんなに容易くできるものなのだろうか?従業員の人たちのことを考えれば、早々と元にもどっても良いかと考えるが、経営者に対しては、「そんなに早くて良いの?」と思ってしまう。

ぺコこちゃんやポコちゃん大好きなお子様を大切にして・・・。
                             (410回)

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時の記念日

2007年06月10日 | 今日この頃
              百 合
        4番目に咲いた 少し丈が低い

今日は時の記念日です。でも昔ほど言わなくなりました。何故今日が時の記念日に制定されたのか気になったので調べてみました。

時の記念日は1920(大正9)年に制定されました。当時の日本人に欧米人並みに時間を尊重する意識を持ってもらう事を目的とし、生活改善同盟会が「日本書紀」の天智天皇の条、水時計創設の記によって6月10日を選定した。

時の記念日の認知度についてのアンケートが載っていました。「時の記念日」を知っているが48.6%、「知らない」が51.4%。年代別に見ると、20代で「知っている」は18.8%と最も低く、40代でも58.6%が「知らない」と答えている。40代といえば私達の子供世代だ。二人に一人も知らないとは思いがけない事実だった。60代では81.0%が知っていると答えたそうだ。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

唱歌の学校の発表会無事終了いたしました。ホットしますと共に、元の古巣「ソプラノ」に帰れるのがとても嬉しいです。順番ですからもう数年は回ってこないでしょう。

出演する私達は午前の10時ごろから午後4時過ぎまで、外に出ることはありませんでしたが、その間に大雨が降っていないかと心配しました。私の場合、としこさんとたかこさんが来てくださる予定です。お二人とも遠方ですから、昼前にはお家を出てくださっているはずと心配いたしましたが、うまい事、晴れ間の間に来てくださったようです。

私の舞台化粧成功だったようです。バッチリとお化粧はてからず成功でした。「てかる」といえば、昨日のブログの海老蔵が舞台下手で出待ちをしているとき、付き人の人が海老蔵の顔に向かってゆっくりと団扇で風を送っている場面がありました。もし私がのりこ先生の「顔のてかりは、顔をのぺり見せる」と言う事を教えられていなければ、「何てことをするの、顔を扇ぐなんて」と思ったかも知れません。お話を聞いた後だけに「かおに汗をかかないように、汗かいてのっぺり顔にならないようにだ」と直ぐ理解できました。何でも新しい事を知ると言うことは良い事ですね。

歌の方も上手くいきました。皆で心配した「アカペラ」も成功したようです。皆で「やっぱりピアノがほしいね~」と言っていましたが、校長先生が「アカペラにしましょう」と押し切ってくださったお陰で良い経験ができました。何事も少しは背伸びもして、冒険もしてみるものだと思いました。

衣装といえば、去年私達が、首に巻くスカーフの布をスパンコールのついたピカピカのものを使用しました所、今年は2組がキラキラを取り入れていました。きっと去年良いと思って下さったのでしょう。来年はもしかしたら「アカペラ」が増えるかも知れませんね。私達は「アカペラのパイオニア」で~す。

私の思ったことは①今年はテンポの緩やかな曲でしたから、来年はテンポの早い曲「トルコ行進曲」などやってみたい。②曲に合わせて服装はパンツが良い。今年は黒が多かったが、黒は見ているほうの心を沈ませるような気がするのです。綺麗な色合いが良い。白いパンツに上は濃い色、薄い色共とても綺麗な色の組があり、心が浮き立った。なんといっても17組が競い合う(賞は無い)ようなものだから。

今日が「時の記念日」だから、私が選曲(無記名)に「大きな古時計」を希望、採用されたことはとうとう誰も気付いていないようでした。「時の記念日」忘れ去られようとしています。

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今一度,オペラ座、歌舞伎公演

2007年06月09日 | テレビから
              アジサイ
         淡いブルーの日本のアジサイ

昨夜、NHKで「歌舞伎のパリ公演」の裏話的な番組があった。録っていたビデオを今朝見た。2005年にオペラ座から依頼があり、団十郎親子でプランを煮詰めていった結果の舞台だった。

団十郎さんの2度にわたる「白血病」の治療も「オペラ座の舞台に立ちたい」と言う望が回復の後押をしたようだ。

オペラ座の舞台は幅が無くて、奥行きがあり、歌舞伎の舞台は幅があって、奥行きが無いという正反対のものである。オペラ座の舞台は5度の傾斜が付いていて、歌舞伎の基本のすり足には向いていない。其の傾斜を1度にすることにした。何故0にしなかったのかといえば、歌舞伎の足捌きを見てもらい為だ。

こうして、一つ一つ問題点を取り除いていって、最後に残ったのが「花道」である。出し物が「勧進帳」であるだけに「花道」は重要な意味がある。

団十郎の「弁慶の喜びを表す飛び六方」の引っ込みに無くてはならないものだ。団十郎親子も最後まで考えるのは其の事だったようだ。

オーケストラピットが前面にあるため舞台が客席から其の分遠い。本来は舞台とTの字にあるべき花道を、変則的乍らオーケストラピットに張り出させた。団十郎の「弁慶」の時は「飛び六方」でこの上を上手から下手に引き上げたわけであるから、縦の花道のように、迫り来る迫力にはならなかったかもしれない。

息子の海老蔵はやはり観客に迫り行く迫力を感じて欲しかったのだろう、通路を「花道」に仕立てたいと希望した。父は反対であったが「一度やらせて欲しい。無理ならやめる」と舞台稽古に立った。オペラ座側も海老蔵の形に賛成だった為に、採用され、二通りの演出が採られた。

この度の放映では両「弁慶」「富樫」も見ることが出来た。やはり経験による「重厚な弁慶」は父の団十郎に軍配、しかし「美しい富樫」は息子海老蔵だ。団十郎の「富樫」は日本では絶対見られないそうだ。

海老蔵の「弁慶」の時の団十郎の「富樫」は海老蔵の申し出でにより、父団十郎が「受けて立った」そうだ。親子とは言え強い信頼感、いい親子だな~と思った。

演出家のいない歌舞伎は、座長である団十郎は全てに(囃し方にも)精通し、希望とダメ押しを伝える。「勧進帳は荒事ですから、三味線の強さが・・・」とか口三味線で自ら唄いながら指導していく。舞台上では主役であり、其の姿は見えないが、稽古場の場面を見ていて、全てをまとめ一つにするのは、まるで「オーケストラの指揮者だな~」と思った。

舞台のバックの松、普通は「絹地」に書かれているらしいが、この度は「板」に描かれた。素材の違いにも由るのだろうが、団十郎親子の駄目だしが続いた。団十郎の言うには「霞が掛かったような松」が希望のようで「縁をぼかして」といっていたが中々美術担当と意思の疎通が図れない。其の時天井を見ていた海老蔵が「あのシャガール絵のように描けば、柔らかいが形ははっきりしている」うまいことを言うな~と思った。団十郎の希望に当てはまる。

出来上がった「松」は能舞台の「くっきり松」から「霧にけぶる松」に成っていた。其の時ハタと気付いた。自分の錯覚を、と言うか記憶違いを。私の記憶の中のバックは映画とかテレビの場面だったらしいと・・・。バックに一段高く「富樫」がいる取調べの部屋があったと記憶していたが、市川家の十八番「勧進帳」のバックは「松」「囃し方」のようだ。

歌舞伎は遠くなりにけりかな~。近づきたいな~。







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