ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

文字

2007年06月14日 | 新聞から
          ダリアも咲き始めました
        二度咲きで、花後剪定して置くと
        秋に色濃く一段と美しく咲きます
         30年以上我家の住人です

関西にも「入梅宣言」が出たようです。暫くジメジメした日が続きます。

ローマ字についてこんな記事が載っていた。以下は抜粋である。

『戦後間もない頃、日本を占領していた連合国軍総司令部の中に日本語をローマ字化しようという動きがあった。日本語の核である漢字は習得に時間が掛かる。そのため戦前の日本国民の教育は低く、民主化できなかったからと言う理由である。むちゃくちゃな論理である。

だが日本人でも「戦争に負けたのは文字のせいだ」「子供たちの将来の為にはローマ字の方が良い」と考える教育者もいたらしい。「自主的」に国語や算数を教える授業も行われ、ローマ字は急速に進んでいった。所が当時の文部省教育研究所が全国の2万人あまりを対象に、日本語の読み書き能力検査を行ったところ過半数が9割以上の正解率となった。これでローマ字化する当初の理由は否定された。

もしそのままローマ字化が進んでいれば今、社会の中心に居る人はほとんど漢字もひらがなも使えない。古典派はもとより、漱石や鴎外らの近代文学すら「原典(引用・翻訳・改作などの元になった書物)」で読めるのは、特別に「日本字」を学んだ人だけになっていたはずだ』と言う。

確かに戦後、ローマ字の時間はあった。でもそれは文章をローマ字に直すと言うものであって、ローマ字で国語や算数を習ったのではない。

今私が「漢字」を習っているから強く感じる事かも知れないが「漢字」には夫々の意味があり、形作られた歴史がある。「漢字」を目にしただけでその言わんとすることがたちどころに脳裏を掠める。「漢字」は優れものである。味も素っ気も無いローマ字にされていたら、今頃はどんなことになっていたのであろうか。

日本独特のものといえば、女性用として編み出された「かな文字」だろうか。今の漢字と仮名の組み合わせは、読んだだけで直ぐ意味が解る優れものだと思う。「ひらかな」と言われる字である。

もう一つ「カタカナ」と言うのもあるが、これは外来語、国名などを表す時に、自然に使っている。さて「カタカナ」は何時頃出来た文字なのだろう。

昔は「振り仮名:ルビ」は「カタカナ」であった。今、名前に振り仮名を付ける時、一瞬迷う事がある「ひらがな」「カタカナ」どちらで?と。

尋ねたことがある「ルビはひらがなですかカタカナですか?」「『ふりがな』と書いてあれば『ひらがな』で『フリガナ』と書いてあれば『カタカナ』で打つのでは無いでしょうか」明快である。私は何を迷っていたのだろうと可笑しかった。

もし文字がローマ字になっていたら「書道」も無くなっていたのでしょうね。

記事は続きます。『文部省で行った高校3年生の「学力テスト」で古典の成績が悪化している。大学入試に使われる割合が減っているのと、パソコンなどの普及で文学など読まなくなったからかもしれない。このままでは、古典文学にこめられた日本の「美」だけでなく、「日本書記」などから読む古代史の世界も遠いものになり、能や歌舞伎も理解できる人が少なくなるに違いない。そんな日本文化の危機がひしひしと感じられる』と嘆いている。

外国で日本語ブームは続いているらしい。就職に有利、通訳と言う職業に関する事で習う人も多いだろうが「俳句」など日本文学に興味を持った人も多いような感じもする。



コメント
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