ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

親と子

2007年06月21日 | 気にかかる
            グラジオラス
       咲き始めました 小さな品種です
     百合にもたれかかるように咲いています

夕べから今日一日と雨が降りません。朝と午後の二度の洗濯物がすっかり乾くほどお日様と風のある一日でした。明日は降る様ですが、本当は夜に降ってくれるとありがたいのです。庭の水撒きをしなくて済むから。これから3ヶ月ほど、朝起きて一番の仕事が水撒きです。水撒きをしながら花の咲き具合を見るのも楽しみではあるのですが・・・。

朝刊の一面に「朝の詩」と言う欄があります。毎日一遍、その中から1ヶ月に一遍「月間賞」として選ばれます。5月の「月間賞」に、神戸の102歳のたなかちよさんの詩が選ばれました。

            おとっつあん

     早うに逝ってしまった
     おとっつあん
     何でやさしい言葉を
     かけなんだのやろ
     何でもっと親切に
     せんかったのやろ
     親一人子一人で
     淋しかった子ども時代
     私を守ってくれた
     おとっつあん
     今日も手を合わせて
     おがんでいます
     ちよは元気でおります
     おとっつあん

これは私の心そのものです。フッと母を思い出すとき、私は何てそっけない子だったのだろう。女の子の癖に優しい言葉も掛けないで・・・。70歳を過ぎた、母の年をとっくに過ぎた今でも思います。大先輩であるちよさんも親を思い、感謝しておられるのを知って気持ちが楽になりました。

母を喜ばせようと勉強しました。でも今から思えば、成績の良し悪しより、女の子らしい優しい言葉の方が母は喜んだのでしょうね。母は若くして死にましたから、美人のままで死にました。彼岸に往った時、母より年を取った娘を解ってくれるのでしょうか?

選者の詩人は「100歳を越えても尚・・・と、胸を衝かれました。ちよさん、このように思い続けてこられたことで、貴女は十分に親孝行をなさいました」と話されます。

ご本人は「私が6歳の頃、母と離別したおとっつあんは新聞配達などをしながら男手一つで育ててくれました。おとっつあんの生き方や教えは、阪神大震災で住む家を失ったときなど、人生の数々の節目で私の生きる指針になりました。改めて感謝の気持ちを詩に託しました」といわれます。

昔の親は、今の親のように高学歴ではありません。でもわが子の心に何かを植えつけていっているようです。これは学校で学ぶ質のものではありません。人に対する心でしょうか。その時には解っていなかったことでも、年を経ると教えとして思い出すのですね。「昔の人は偉かった」は市井の人にも当てはまる言葉のようです。

親が子を子が親の命を奪うような今の世の中では、親を慕い子を愛する事の何処かに行き違いがあるようです。何なんでしょうか? 今を生きる私達が忘れてしまっているものは・・・。

今夜、大阪の11男4女の17人家族のテレビを見ました。その4男が「苦労を掛けたので、その恩返しにと結婚30年の両親に海外旅行のプレゼントをするのです。中学を出て働き(新聞配達)ながらコツコツ貯めたお金です。親のお金で学生生活するのが当然と思われている年頃に、こんな子もいるんです。又次女も親を早く楽にさせたいと働きながら、定時制高校に行く道を選びます。15人も居れば色んな子も居るでしょう。でも兄や姉の生き方は9人の下の子は見習うと思います。苦労ももう少し、頑張れお母さん!
                         (420回)


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