ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

祝祭日

2007年06月15日 | 気にかかる
       未央柳(びようやなぎ)別名:美女柳
       街路樹の下草の感じで植えられている
     このまつ毛のようになるまでの変化が面白い
            実もなるらしい

『自公、秋のGW構想断念』だそうだ。元々が公明党が出した案で公明党の斉藤政調会長は「長期休暇が取りやすくなり、体と心がリフレッシュできる。お金の掛からない景気対策や観光振興策と言う点からしても、検討に値する」と言う。

11月3日の文化の日の前後に、体育の日(10月第二月曜日)と勤労感謝の日(11月23日)を移し3連休とし、土日を合わせての5連休を狙っている。

たとえこの案が認められたとしても、これを「恩恵」と受け止める人は国民の何%いるのだろう。サラリーマンも一部の人だけだろうし、商売人は(観光振興に属する人を除く)別々であろうと、一纏めにしようと関係なさそうだし、そう考えると「恩恵」を受けるのは官僚、議員、公務員、学生(家でゴロゴロ、三食を作るお母さん大変だ)か?だとすればこれもお得意の「お手盛り」?

大型連休はそんなに必要だろうか?遠い故郷に帰る方には便利かもしれないが、今はお盆休みも長くなっているし、正月休みも控えている秋にいる?連休ゆえに交通機関も込むし、心体のリフレッシュ所かイライラとストレスが貯まりお父さん命を縮めませんか?

そもそも祝祭日(皇室関係の休日が祭日、その他が祝日)はその日に意味があって休日になったのに、成人の日:1月15日から1月第二月曜日(今年なんか8日と一週間も早い)へ。海の日:7月20日から7月第三月曜日へ。敬老の日:9月15日から9月第三月曜日へ。体育の日:10月10日が10月第二月曜日へ。と変更された。

何れにしてもその日に意義の通り不変の日のほうが良かったように思うが、西洋ではこの変則的な休日があるのでそれに倣ったのだろうか。

敬老の日は一時「老人の日」と称していなかっただろうか?それを又もとの「敬老の日」に戻したのは何故?名前を変えた人も老人になったから?敬って欲しい?

体育の日は10月10日、東京オリンピックの開会式を記念して儲けられた日なのに移動日にしたのでは意味が無いと思うのだが。10月10日に開会式と決めたのは、その日が、気象の「晴れ」の特異日だから、「雨」の心配が少ないから選んだと聞いた覚えがある。

4月29日「天皇誕生日」が「みどりの日」と変わったが、この度5月3日:憲法記念日と5月5日:こどもの日との間の5月4日を「みどりの日」とし連休としたので、元の「みどりの日」である4月29日が昭和天皇の誕生日である事から「昭和の日」と変えられた。「昭和の日」があるなら11月3日:文化の日は明治天皇の日であるから「明治の日」と呼ぶべきと言う意見もある。

こうなれば何れは12月23日は「平成の日」、2月23日(皇太子殿下誕生日)も「XXの日」、そして9月6日(秋篠宮家嫡男誕生日)もその可能性が在る。と言うように休日は増えていく。

休日を連休にする為に移動させるのは良くないし、その日の意義がなくなってしまう。願わくば移動させられた休日も元の固定型に戻していただきたい。

土曜日が休日になったことによって一年365日の内の50日が増え、約100日と祝祭日15日、計115日(1年の1/3)が休日になっている。リフレッシュするのに充分な日数ではありませんか。「過ぎたるは及ばざるがごとし」で休日が多すぎてお父さんは家庭サービスに益々お疲れでは・・・。

何事も余り手を加えるのは良くない。大型連休にするだけの為に、意義あってなったその日を動かす事は愚かな事だと思いますが。
コメント (6)
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