ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

加藤登紀子さんの母

2007年06月12日 | テレビから
              鉄砲ゆり
         純白の清楚さと香の高さが良い

「時の記念日」に「スカーフの結び方」と言う「トラックバック」が送られてきました。「???」でした。本文を読み返してみて「スカーフ」について記しているのに気付くお粗末。お洒落な方は「スカーフ」の使い方が上手。「スカーフ使い」が「洗練されたお洒落さんの印」のように言われていますね。実際そうだと思います。あの四角い布で地味な服も華やぎ、お勤め帰りの服装も「スカーフ」を持っていれば夜の集まりに直行も可能。

私は「スカーフ」使いに関心はあるものの気持ちだけで、三角に折、首に巻きつけるだけです。何しろ「猪首」でスカーフが映えないのもその理由。でも加齢により「首」と付く所(足、手、首)は暖めた方が良いそうですので、「スカーフ」の出番も増えると思います。お勉強いたします。

「木曜日には又雨やって」と主人「???」「木曜日までに片付けられへん」芝の上の枝の山の事を言っているらしい。「え~やんか、雨にぬれても捨てるものやし。ぬれても又乾くやん」主人は心配性、私はのんびり型。息子達はどちらのDNAを受けているのでしょうね。私は捨てる木が濡れる事より、右腕にかぶれ(毛虫の毛だと思う)で痒くて堪りません。

「徹子の部屋」に加藤登紀子さんとお母様が出ておられました。90歳を過ぎておられるのに、家事は自分でなさり、それだけではない、着ておられるスーツもご自分で作られた。孫、ひ孫の着るものも縫う事があると言っておられた。

お料理は「ロシア料理店」をしておられた程ですから、抜群にお上手なんでしょう。今でも働いている登紀子さんに代わって5人分の用意をされるそうです。「周りに料理をする人がいませんから・・・」と笑っておられました。

「ロシア料理のお店」は12年前80歳になった鬨にお店も40周年に成ったので辞められて、お孫さんが後を続けておられるそうです。

ご本人が言われるには「90過ぎて、欲が無くなり、自然に近づいた感じがする」登紀子さんの母親感は「今の瞬間を最高であるように努めている。何事にも積極的」

登紀子さんの「百万本のバラ」をお母様のご希望で弾き語りされて、この歌の生まれた時の気持ちを吐露された。86年にこの歌を歌い始めた頃は娘三人が手を離れた(三女が小学校に上がった)時、これから歌で頑張るぞ~と出したのがこの歌なんです。でも考えれば娘三人を育ててくれたのは母なんです。母に任せておけば大丈夫と思っていました」これを受けてお母様は「仕事は良くやっております。でも仕事に成功しても、育児の方が大切だと思うのです。其の事で後悔させたくなかったのです」登紀子さんは本当にお幸せ。お母様も娘、孫、ひ孫に囲まれて頼りにされてお幸せ。

9日の日に神戸で加藤登紀子さんのコンサートがあって、お友達(私より年上)が初めて行ったそうです。「千の風になって」も唄ってたよ。百万本のバラはラストだったよ。凄い人気で驚いたよ」って言っていました。

加藤登紀子さんといえば年末の「ほろ酔いコンサート」が有名ですよね。名の通り、客席も、ご本人もお酒を頂きながらのコンサートらしいです。私はお酒は飲めないので、他のコンサートに一度行って見たいと思います。

親子四代の生活を支えている92歳のお母様、背筋が伸びて、物言いもはきはきと、90歳過ぎてもこんなに素的な方が居られるとは驚きです。その心底を支えているのが助け合う家族愛。武者小路実篤さんの明言「仲よき事は美しきかな」




コメント (4)
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