ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

賢い主婦って

2007年06月11日 | 気にかかる
             百 合
        赤い色と言うのは写し難いです
      色が飛ぶと言うか、ほわっと写ります
          やっと撮れました

昨日一昨日と、晴天だとお思えば、土砂降りになったり、雷が鳴ったりと、何か狂ったようなお天気でした。今日は一日中お天気が良かったです。

今までは主人が木の切り込みをしていたのですが、この度初めて人にお願いしました。主人が人伝に探してきた人は、植木屋さんではなく、所謂庭の手入れでも、建築でもお手伝いをする人のようでした。

気がついたときは木は丸裸、信じられない無残な形になりました。切り倒した木の下敷きになってアジサイが折れたり、咲くのを楽しみにしていた花がなぎ倒されたり、一生懸命咲いているナンテンの花を切ってしまったり(木下の低木はさわらないと言っていたのに)と目も当てられません。

花に興味の無い主人は満足だそうです。「すっきりした!」って。私は大不満です。主人が切っていた時は見張っていないと何でもぶすぶす切ってしまうし、草と雑草の区別がつかなく折角の花を根こそぎ抜いてしまって、要らない雑草がすくすく育っていたりしますので、目を光らせていました。

「切ってくれれば、後は片付けます」と言ったらしく。切った枝はそのまま帰りました。植木屋さんなら、落とした枝は皆持ち帰ってくれると聞いています。この処理が大変なんです。値段を聞いて安すぎると思ったんです。植木屋さんに頼んでいれば、木は丸坊主にならず、枝も持ち帰ってくれて、お庭はすっきりしているはずです。

芝の上は無残に落とされた枝がうずたかく積み上げられています。「安かろう悪かろう」では何にもなりません。「安物買いの銭失い」の言葉通りです。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

随分前の新聞ですが、こんな記事が載っていました。
「賢い主婦の選択」:一時期、奇妙な広告が出ていました。「賢い主婦はスーパーで手前の古い牛乳を買う」と言う1ぺージの大広告だ。私は生鮮食品でなくても、賞味期限を調べて一日でも日付の遅いものを、引っ張り出して買う。

古い牛乳には新しい牛乳に無い何かの要素が加わるのかと思えば、そうではない。「自宅に古い牛乳があればそちらから飲むであろう、牛乳を無駄にしたくないからだ。それと同じでスーパーでも古い牛乳から買うべきである、何故なら期限が来たら捨てられて、資源が無駄になるから」と言うのである。

この発想は何処から出てきたのだろう。「古い牛乳を買って資源を無駄にしない主婦は賢くて、裏を返せば新しいものを買う主婦は馬鹿だと言う事だ」スーパーの牛乳を無駄にしたくないのならそれは其の店が仕入れ量等考える事ではないですか。勝手に余るほど仕入れておいて、主婦に古いものから買えとは、何と言う言い草だろう。大きな紙面を使って無駄な広告料を使って。

この広告の後に「不二家」の騒動が起きた。賞味期限の切れた牛乳を使って洋菓子を作っていた事が発覚して「捨てるのが勿体無いと思った」と弁明した。古い牛乳、即ち会社の必要コストを抑えて、利益を得ようとしただけではないの。

今はもう、ケーキも販売をしているようだが、売れているのだろうか?信用の回復ってそんなに容易くできるものなのだろうか?従業員の人たちのことを考えれば、早々と元にもどっても良いかと考えるが、経営者に対しては、「そんなに早くて良いの?」と思ってしまう。

ぺコこちゃんやポコちゃん大好きなお子様を大切にして・・・。
                             (410回)

コメント (4)
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